しばた川灯籠流しが行われ、お盆が過ぎますと、暑さはほぼそれまでと変わらないのに、なぜか急に夏の終わりを感じ始めます。
浴衣を着ていたのが、なんとなくそぐわなかったり、輝いて見えた褐色の肌が、なぜか色褪せて見えたり。
気温は30度を超える日が、まだまだ続くのですが、季節の移ろいはそうやって密かに進んでいるのですね。夏休みを満喫していた子どもたちもきっと、焦り始める頃でしょう。
子どもの頃、夏休みの宿題に「お手伝い」というものもありました。私がよく行ったのが「玄関そうじ」。
我が家では祖母が毎朝玄関掃除をしていました。ですから、自分で玄関を掃く、というのは、このわずかな期間だけでした。
嫁ぎ先では、義母が毎朝玄関掃除をしていました。道路脇の庭から木の葉が落ちるのを、お隣にご迷惑がかかると気にして、つい最近まで、毎朝していました。外回りだけは、今でも目に付くと、掃いています。私は働いていることに甘えて、ずっと義母に任せっきりでしたので、気付いた時に行う程度でしたが、勤務先ではいつも掃除をしているのに、自分の家はたまにしかしないなんて、と反省し、簡単ながらもするようになりました。
そんな自分の掃除や作業の仕方を見直したい、と思わされた本に出合いました。三つの観点から考えさせられた本です。
千玄室さんの書かれた『日本人の心、伝えます』という本です。
最初は作業の徹底ぶりについてでした。
茶室にお客様をお招きする時、著者のお母さまは水屋の者たちや著者に手伝わせて、露地の掃除をしました。それは、苔の上に落ちた塵をピンセットで拾い、木の葉のほこりを一枚一枚拭き取らせる徹底したものだったそうです。後片付けも手抜きは許されない。
戸外の掃除をそのようにしたことは私は一度もなく、後片付けも徹底してやった、と言えるものではありませんでした。
お客様をお迎えする心構えというのは、これほどの誠意を尽くすものなのか、と思いました。
次は千利休の掃除についてのお話でした。
武野紹鷗が利休に露地の掃除を命じました。ところが、露地は既に掃き清められてあたりに木の葉一枚落ちていませんでした。
しばらく露地を見ていた利休は、1本の木に歩み寄り、幹を揺すり始めました。数枚の木の葉がはらはらと散り、苔や下草の上に落ち、そこで利休は紹鷗のもとに「掃除が終わりました。」と報告しました。紹鷗は、利休が非凡な人であると見抜き、利休は弟子となり共に茶の道を進み始めたということです。
利休の求めた不完全な美について、それまで私はなかなか理解できなかったのですが、自然は常に移ろい続ける、完全でないからこそ、私たちの心を捉える、ということがようやくわかったような気がします。
新川和江さんの『わたしを束ねないで』という詩の中の一節に、「標本箱の昆虫のように、高原から来た絵葉書のように止めないでください」というものがあります。
標本箱の昆虫は、確かに美しいが、命の輝きは失って止まっている。絵葉書の風景も完璧に美しいが、時間も空間も止まって生きてはいない。
命は移ろうからこそ命であり、移ろうものだからこそ人は心を引き寄せられるのですね。
最後はノートルダム清心学園理事長の渡辺和子シスターの仕事のお話です。
ボストンの修錬院で配膳の仕事を割り当てられたシスターは、百数十人分のお皿やコップを食堂のテーブルに並べるという単純な作業を黙々とやっていました。修錬長がやってきてシスターに声をかけます。「あなたは何を考えながらその仕事をしているの?」
「別に何も」とシスターが答えたところ、修錬長は「今並べている食器を誰が使うのかはわからないけれど、『使う人がお幸せになりますように』と、祈りながら並べてゆきなさい」とおっしゃったそうです。
それまで、本館の食堂で準備を手伝ったり、前職で食器や寝具をセッティングしたりした時のことを思い出しました。そして、毎朝行っている玄関掃除を含めて、自分が行う全ての作業に、相手の幸せを祈る心は少しも含まれていなかったことに気付きました。
ただ、すればよい、きちんとしてあれば、それでよい。そう思って作業をしていました。
読んだ翌日から、職場では入って来られる方々のお幸せを祈りながら、家では家族が一日を元気で無事に過ごして帰って来ることを祈りながら掃除を行っています。している内容に変わりはないのですが、心持が変わると、ただの作業に思えていたものが、尊い仕事のように思えてくる、そして気持ちが優しく丁寧な作業になっていくような不思議な感じを覚えます。
料理をする時は、確かに家族や届ける人のことを思い浮かべて作っていました。考えてみれば、世の中の仕事に、相手に結びつかないものはありません。その先の誰かが幸せになることを願って、私たちの世界は発展してきました。大それたことは決してできないけれど、毎日していることを相手を想いながらしていくと変わることもあるのだ、と思いました。
今はほとんど何もできなくなった義母ですが、元気な時は、家中がピカピカでした。仕事は丁寧できちんと片付けもしていました。同居したころ、専業主婦だからできるんだ、私には無理だ、時間が無い、と思いました。自分のことにしか目が向いていなかったと反省するばかりです。私たちのことを思わずに、ただの家事という思いだけで作業をしていたら、家があんなに心地よかったはずがありません。
義母が毎日届けていてくれた愛情に気がついていなかった。今度は私が同じように心を込めて、家と家族の幸せを祈り守っていかなければ。黙ってはいるけれど、きっと家族は義母がしてくれていた家事の偉大さに気付いて、私に我慢したりフォローしたりして、動いてくれていたんだと、今は思っています。
美しいと感じる場所に込められている人の心を汲み取り、自分も美しい作業ができる、そんな人になりたい。
本を読んで以来、ずっとそう願いながらも、実際は、自由研究がまだ決まらずに、焦るばかりの子どもが慌ててするような取り組みぶりです。
清水園/ひろ