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その先を想う

 
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 武相荘に行って以来、白洲正子、次郎夫妻や青山二郎さんに心を奪われています。
関連の本を読んでいるうちに、「壺中居」の名前が出てきて、本館の美術品の目録の中にもあった、と思い出しました。
 目録をPCに打ち込んでいる時は、ただ、その作業を早く終わらせなくてはと思うだけで、作業自体に没頭しているだけでした。そして、武相荘のことも知らなかった。今、あの時、少しでも、彼らのことを知っていたら、彼らに思いを馳せながら、打ち込んでいる美術品について、きっと関心をもちながら作業をしていたと思います。素晴らしい機会を手にしながら、愚かにもその出会いを価値あるものと意識せずに受け流してしまっていたと後悔しました。

 美術品に今までそれほど関心を持たなかった私にはこれは序の口で、きっともっとこれから勉強していけば、ショーケースの中の展示品についても、今とは全く違う価値を意識した見方ができるように変わると思います。
 清水園の資料館の資料に関しても、歴史を深く知れば知るほど、味わい方もきっと変わっていくでしょう。ここに勤めるまで全く知らなかった溝口家や石州流、新発田の歴史など、働きながら歴史や文化に触れることができる機会は一気に増えました。その都度、感動や学びの大きな喜びを得ることができました。

 学生時代は数学が大嫌いで、英語も関心が無く、陶磁器も、庭も、歴史的建造物も、全く興味がありませんでした。
それなのに、今頃になって、数学の美しさを知り、英語を話したいと思うようになり、庭や美術品に一気に関心が高まり、そのために出かけるようになりました。年を取るのは辛く、寂しくなることばかりではないのだな、自分が入り込めないとあきらめていた世界にも、入るチャンスを与えてもらえることもあるのだな、と、最近は自分の変化に驚いています。若かった頃の自分に教えてあげたいです。
あなたが、無理だ、だめだとあきらめてしまったことや、関係ないと切り捨ててきたことにも、もう一度その素晴らしさに巡り会え、学ぶ喜びを得る機会が訪れることもあるんだよ、と。

 やらなければならないと思っていたことを、その先につながる世界を見ながら行っていたとしたら、今の人生はどれだけ深みが増していたことでしょう。この世界に隠されている数の神秘を知って自然界を眺め、外国人のお客様と簡単な英会話をし、お庭や美術品を鑑賞でき、、、、

 若い頃は、若い頃で目の前のことをこなすだけで精一杯。心のゆとりも自分のためだけの時間も、まるでありませんでした。そして、それが何に繋がっていくかを考えることなくやっていました。「将来のために」の将来の意味が全くわかっていなかったと思います。

 その「将来」に辿り着いた今、今度こそ、これからの仕事や学習は、その先に待つ世界や人との繋がりを考えながら行っていきたいと考えます。無駄なことは人生には一つもない。本当でした。私にそれを教えてくれた大人はみんなきっと、今の私のような思いを味わっていたからこそ伝えていたのだと思います。
 以前よりは自由に使える時間がある今こそ、学び直しを頑張っていきたいと思います。こんな素敵な清水園と博物館にいつもいられるのですから。
 少しずつ紅葉が色づき始めました。私も紅葉を追いかけます。

清水園/ひろ


 

# by hoppo_bunka | 2024-10-27 17:05 | 清水園 | Comments(0)

芸術作品は窓

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 今日は園内を巡るには、大変気持ちの良い秋日和でした。吹く風も心地よく静かな時間が流れて行きます。
賑やかな団体のご来園は午前のみでした。午後からは個人のお客様が、ゆっくりと園内を楽しんで回られました。

 16時を過ぎますと、辺りは次第に暗くなり、人気のない書院は、いっそう静逸な空気に包まれます。それは北方文化博物館の大広間も同じことで、私は閉館前のお客様が帰られた後のひっそりとした大広間から見えるお庭の佇まいが何とも言えず好きです。

 書院からの大庭と大広間から眺める池泉回遊式庭園は、どちらも田中泰阿弥によるものですが、作庭された時に、泰阿弥さんの目には、既に自分の死後も成長し趣を増していく、今の庭の姿が見えていたに違いないと思うのです。

 次の世代につなぐ意志を持って作られたものは、必ずその想いを見るものに届ける。優れた芸術作品に心が動くのは、作者の想いが私たちの魂を揺さぶるからでしょう。

 先日、着付けを教えて下さった先生が、陶芸の個展を開かれるので、作品を見に伺いました。たくさんある焼物の作品を見ながら、人の手によって長い時間をかけて作り上げていくものは、美しいなぁと思いました。作品に込められた先生の想いも一緒に受け取るのだと思いました。
 その中で、梢に止まる小鳥の陶器フレーム作品があったので、買い求めました。家に帰り、どこに飾ろうかと場所を探し、自分の部屋の机の前の壁に、どうだろうと思って飾ってみました。
 そうしたら、不思議です。プレートを付けた途端に、その小さな小窓から、風が吹き込んできました。

 今まで絵を飾る時は、だいたいが部屋の上の方に飾っていて、目の前に置くということはありませんでした。でも、その陶器の小さなプレートは、目の前の壁を見事に窓辺に変えたのです。その景色を部屋に取り込むという鑑賞の仕方を、それまで全くしていませんでした。
 私の部屋の一画に、私だけの窓が生まれました。机の前に座る楽しみができました。書院や大広間で味わう、ゆったりとした心地よさと同じ様に、自分の居場所も心地よさを感じることができました。というか、自分の居場所こそ、本当に、心地よいと感じられるところにしなくては。あまりにも、慣れ過ぎていて、有難さを考えずに毎日を過ごしていたのではないかと気づかされました。

 芸術作品は窓。心を解き放つ。書院からの眺めも、大広間の空間も。そして私の目の前にも。
今晩は、スーパームーン。天空の最高の芸術である月を見上げることのできる幸せが、多くの皆さまに届きますように。

清水園/ひろ
 

 

 

# by hoppo_bunka | 2024-10-17 17:05 | 清水園 | Comments(0)

守るべきもの

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 長女が無事出産を終え、初孫と対面してきました。久しぶりに抱く新生児は、やわらかく、くたっとして、時折足を突っ張ってぐずつきます。本当に久しぶりの懐かしい、宝物に触れる感触を思い出しました。
 実家に帰ってくることはなく、東京で、夫婦二人で子育てをします。沐浴も、ミルクの作り方も、みんなYouTubeを参考にしてするという、今時の子育てです。彼女の夫は1か月の育児休暇を取るということでした。

 出産の際も、入院してから退院まで、夫以外は面会禁止ということで、私はただただ神仏に願をかけて、無事を祈ることしかできませんでした。自分は陣痛の時に、側にいて腰をさすり続けてくれた母の手の温かさを、未だに覚えているというのに。長男の時も、長女の時も、母や義母の世話になるばかりだったというのに。

 母離れ、子離れ共にできていないのは、私だけでした。離れていて目の前で成長していく様子を見ることはできない代わりに、毎日のように動画を送ってきてくれます。幸せな時代だと思います。
 離れていても、こんなに小さな命が、懸命に生きることを頑張っていると想像するだけで、力を与えられます。私も頑張って生きようと思わされます。

 そして、私も、あなたも、そういう存在だった。

 人は存在するだけで、周りに力を与えることができる尊厳ある存在なのだ。小さな小さな赤ちゃんが教えてくれました。

 この子たちが大人になる頃には、世界は今よりずっと平和で住みやすくなっているだろうか。
穏やかな清水園の中にいると、ゆったりと静かな時間が流れ、世界は平和であると錯覚してしまいそうになります。
 でも、それは世界中には当てはまらず、戦禍で身の危険にさらされ、飢えや病気で苦しむ毎日を送っている人も大勢います。ロシアとウクライナの戦争も、イスラエルとハマスの戦闘も、終わる気配はなかなか見えてきません。

 そんな中、「ガザ地区でポリオの感染が確認されたことを受け、予防接種のために、イスラエルとハマスが一時的な戦闘休止に合意した。」というニュースを聞きました。これを、微かな光と捉えるべきなのか、それとも戦争そのものを終結させることができない残念な結果と捉えるべきなのか。私は迷う時に、マザー・テレサの「死を待つ人々の家」を思い起こします。
 
 「死を待つ人々の家」では看取ることしかしません。薬や処置できる物も多くはなく、運ばれてくる人は、手の施しようがない状態の人がほとんどです。それでも処置ができることがあれば行い、声をかけます。そして、安らかに死んでいけるように見守ります。そして人々は、「ありがとう」と感謝しながら死んでいく。
 死を目前にした人が求めることは、人間としての尊厳をなによりも大切にしてもらうことだからです。

 人は、人間の尊厳のうちに生まれ、生き、かつ死んでいくことによって、幸せを得られるのだと思います。

 シベリア抑留による死者の詳細な名簿を作り上げた村山常雄さんは、「死者は固有の名を呼んで弔われるべき」という信念から、約4万6千人の名を鎮魂の名簿に収めました。ただの、「死者」ではなく、一個人、一人一人の生の尊厳を重んじた結果です。

 この清水園に湛えられている安らぎを、多くの人々が引き続き味わうことができるように、私たちは生きている限り、この世界をより良くしていくために尽力する義務がある、そのように感じてきました。目の前の世界が美しければ美しいほど、それを守り抜いてきてくださった、先人たちの努力に、思いを馳せたいと考えました。
 そして、私たちが作った世界を引き継ぎながら生きていくものがあることを。

清水園/ひろ

 




# by hoppo_bunka | 2024-09-22 17:08 | 清水園 | Comments(0)

その先を想う

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しばた川灯籠流しが行われ、お盆が過ぎますと、暑さはほぼそれまでと変わらないのに、なぜか急に夏の終わりを感じ始めます。
浴衣を着ていたのが、なんとなくそぐわなかったり、輝いて見えた褐色の肌が、なぜか色褪せて見えたり。
気温は30度を超える日が、まだまだ続くのですが、季節の移ろいはそうやって密かに進んでいるのですね。夏休みを満喫していた子どもたちもきっと、焦り始める頃でしょう。

 子どもの頃、夏休みの宿題に「お手伝い」というものもありました。私がよく行ったのが「玄関そうじ」。
我が家では祖母が毎朝玄関掃除をしていました。ですから、自分で玄関を掃く、というのは、このわずかな期間だけでした。
 嫁ぎ先では、義母が毎朝玄関掃除をしていました。道路脇の庭から木の葉が落ちるのを、お隣にご迷惑がかかると気にして、つい最近まで、毎朝していました。外回りだけは、今でも目に付くと、掃いています。私は働いていることに甘えて、ずっと義母に任せっきりでしたので、気付いた時に行う程度でしたが、勤務先ではいつも掃除をしているのに、自分の家はたまにしかしないなんて、と反省し、簡単ながらもするようになりました。

 そんな自分の掃除や作業の仕方を見直したい、と思わされた本に出合いました。三つの観点から考えさせられた本です。

 千玄室さんの書かれた『日本人の心、伝えます』という本です。

 最初は作業の徹底ぶりについてでした。
 茶室にお客様をお招きする時、著者のお母さまは水屋の者たちや著者に手伝わせて、露地の掃除をしました。それは、苔の上に落ちた塵をピンセットで拾い、木の葉のほこりを一枚一枚拭き取らせる徹底したものだったそうです。後片付けも手抜きは許されない。
 戸外の掃除をそのようにしたことは私は一度もなく、後片付けも徹底してやった、と言えるものではありませんでした。
 お客様をお迎えする心構えというのは、これほどの誠意を尽くすものなのか、と思いました。

 次は千利休の掃除についてのお話でした。
 武野紹鷗が利休に露地の掃除を命じました。ところが、露地は既に掃き清められてあたりに木の葉一枚落ちていませんでした。
しばらく露地を見ていた利休は、1本の木に歩み寄り、幹を揺すり始めました。数枚の木の葉がはらはらと散り、苔や下草の上に落ち、そこで利休は紹鷗のもとに「掃除が終わりました。」と報告しました。紹鷗は、利休が非凡な人であると見抜き、利休は弟子となり共に茶の道を進み始めたということです。

 利休の求めた不完全な美について、それまで私はなかなか理解できなかったのですが、自然は常に移ろい続ける、完全でないからこそ、私たちの心を捉える、ということがようやくわかったような気がします。
 新川和江さんの『わたしを束ねないで』という詩の中の一節に、「標本箱の昆虫のように、高原から来た絵葉書のように止めないでください」というものがあります。
 標本箱の昆虫は、確かに美しいが、命の輝きは失って止まっている。絵葉書の風景も完璧に美しいが、時間も空間も止まって生きてはいない。
 命は移ろうからこそ命であり、移ろうものだからこそ人は心を引き寄せられるのですね。

 最後はノートルダム清心学園理事長の渡辺和子シスターの仕事のお話です。
 ボストンの修錬院で配膳の仕事を割り当てられたシスターは、百数十人分のお皿やコップを食堂のテーブルに並べるという単純な作業を黙々とやっていました。修錬長がやってきてシスターに声をかけます。「あなたは何を考えながらその仕事をしているの?」
「別に何も」とシスターが答えたところ、修錬長は「今並べている食器を誰が使うのかはわからないけれど、『使う人がお幸せになりますように』と、祈りながら並べてゆきなさい」とおっしゃったそうです。

 それまで、本館の食堂で準備を手伝ったり、前職で食器や寝具をセッティングしたりした時のことを思い出しました。そして、毎朝行っている玄関掃除を含めて、自分が行う全ての作業に、相手の幸せを祈る心は少しも含まれていなかったことに気付きました。
 ただ、すればよい、きちんとしてあれば、それでよい。そう思って作業をしていました。
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 読んだ翌日から、職場では入って来られる方々のお幸せを祈りながら、家では家族が一日を元気で無事に過ごして帰って来ることを祈りながら掃除を行っています。している内容に変わりはないのですが、心持が変わると、ただの作業に思えていたものが、尊い仕事のように思えてくる、そして気持ちが優しく丁寧な作業になっていくような不思議な感じを覚えます。
  
 料理をする時は、確かに家族や届ける人のことを思い浮かべて作っていました。考えてみれば、世の中の仕事に、相手に結びつかないものはありません。その先の誰かが幸せになることを願って、私たちの世界は発展してきました。大それたことは決してできないけれど、毎日していることを相手を想いながらしていくと変わることもあるのだ、と思いました。

 今はほとんど何もできなくなった義母ですが、元気な時は、家中がピカピカでした。仕事は丁寧できちんと片付けもしていました。同居したころ、専業主婦だからできるんだ、私には無理だ、時間が無い、と思いました。自分のことにしか目が向いていなかったと反省するばかりです。私たちのことを思わずに、ただの家事という思いだけで作業をしていたら、家があんなに心地よかったはずがありません。
 義母が毎日届けていてくれた愛情に気がついていなかった。今度は私が同じように心を込めて、家と家族の幸せを祈り守っていかなければ。黙ってはいるけれど、きっと家族は義母がしてくれていた家事の偉大さに気付いて、私に我慢したりフォローしたりして、動いてくれていたんだと、今は思っています。

 美しいと感じる場所に込められている人の心を汲み取り、自分も美しい作業ができる、そんな人になりたい。
本を読んで以来、ずっとそう願いながらも、実際は、自由研究がまだ決まらずに、焦るばかりの子どもが慌ててするような取り組みぶりです。

清水園/ひろ


 
 

# by hoppo_bunka | 2024-08-18 17:06 | 清水園 | Comments(0)

呼び起こす部屋

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 転居やリフォームの予定はないけれど、モデルハウスを見学するのは、夢があります。こんな部屋に住みたいな、と憧れるところがたくさんあって、今でも新築のお宅やリノベーションをしたお宅を取り上げるテレビ番組や雑誌を見るのは楽しい。
 仕事をしながらいつも、素晴らしい清水園の書院や本館の大広間の趣を味わうことができ、お客様にもイチ推しの場所だとお薦めしていますが、こんなお部屋に住めたらいいな、と思うのは、新潟分館の大座敷「松風」です。

 新潟分館は、新たに公開されたお部屋がありましたが行く機会を逸していました。
分館は、実は私が最初に働きたいと訪ねていった場所です。分館の近くの西大畑で亡くなった父は育ち、今は無き新潟の家での思い出をたくさん話してくれました。私のルーツがあると思えた場所で、いつかその近くで働いてみたいと考えていました。

 私が訪れた日は、夏の設えのお座敷の中を風が通り抜けて、御簾がかすかに揺れていました。明るい夏のお庭を眺めながら、平安時代の寝殿造の部屋に入り込んだような気持ちになりました。大好きな『源氏物語』や、それに憧れて巻の続きを読むことを切望した、菅原孝標女を思い出しました。私も彼女のように、光源氏に恋焦がれ、夢中になり読み浸りました。
 
 時空を超えた世界に浸ることができるだけでなく、このお部屋は四季折々の懐かしい風景を呼び起こします。
 春に姉妹で縁側に座り、シャボン玉を吹いたこと。夏の夜の手花火と、響き渡る虫の声。秋の夕暮れの赤とんぼが飛び交う空。そしてお月見。冬の庭に小さく並んだ雪だるまなど。縁側のあった古い津川の家を思い出しました。
 
 新たに公開されたお部屋からは、若かった頃の父と母を思い出しました。
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 山内保次と會津八一の馬の絵の飾ってあるお部屋では、亡き父の同級生との関わりを思い出しました。お一人は市内の大きな海産物商店の方で、もうお一人は銭湯のお家でした。私と姉は子どもの頃に親戚の子でもあるかのように、そのお宅に泊まらせてもらったことがあります。その方たちといる時は、一家を背負う父親の顔ではなく、やんちゃな同級生同士に戻ったような楽しそうな顔を見せたことなどを思い出しました。
 
 欄間絵と床の間の天袋絵は小山雪亭。清水園の書院の舞台の間の「雲裡鯨聲」の松とは全く趣が異なり、緩やかな時を経て家族を見守り健康と長寿を願う意味が込められています。
 
 その他に、中田瑞穂画 秋艸道人画賛の絵も見ることができました。父が俳句を習ったという方で、家に先生の画集がありました。懐かしい方にお会いした思いがしました。

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 「祖母や母の髪結い場」と書かれたこのお部屋では、子どもの頃、母の所に美容師さんがパーマをかけに来てくださった時のことを思い出しました。鏡台は憧れの物があるところ。勝手に触ったり鏡を開いたりすることも、なかったです。いつか大きくなったら、素敵な女の人になったら、髪を綺麗にしてもらって、お化粧もして、そんな将来を夢見ていた子ども時代を思い出します。
 日中の家の中は、今と違ってほとんど明かりをつけない時代で薄暗かったのですが、若かった母と美容師さんがいる空間は、華やかな明かりの灯る場所でした。ほんとうに、時代はどんどん変わっていって、なくなっていく物も、たくさんある。
 髪をとかす時に、肩に掛ける化粧ケープなんて知らない人がきっとたくさんいます。でも、人から髪を整えてもらう幸せは、今でも失われることなく残っていて、多くの人は、何かの折に、それを思い出されると思います。私にとっての、このお部屋のように。
 あの頃の若々しく美しかった母を本当に久しぶりに思い出しました。

 ここは自分のルーツを偲ぶ場所だと勝手に決めつけておりますが、きっと皆さまにとっても、何かを呼び起こす、あるいは味わうことができるところだと思います。
 季節の移ろい、時間の流れを愛おしみたくなる、そんな場所です。どうぞお出でくださいませ。

清水園/ひろ 


 





# by hoppo_bunka | 2024-08-10 17:06 | 清水園 | Comments(0)