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言霊

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 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
大雪情報でびくびくしながら今年初出勤した清水園でしたが、時折パラパラと霰が降るくらいで、今のところ昨晩のような強風もなく静かな園内です。雪景色を撮りにお客様がちらほらと来園されています。
 私もお庭に挨拶に行ってまいりました。

 今年のお正月はレポートと試験を控えていたため、一応お正月らしいことは整えましたが、気持ち的には楽しめない寂しいお正月でした。受験生を送り出す予備校の追い込み学習のニュースを見ると、自分も遊んではいられない、と勉強しようとするのですが、わからない、書けない、覚えられないの連続で、鬱屈した思いだけが積もります。思いっきり寝たい、遊びたい、と思いながら、だらだらと時間だけが過ぎていき、こんなはずじゃなかった、と思い続けてあっという間に試験の日を迎えました。

 若い頃は、記憶力もあり、(それだけで全て乗り越えてきたのですが)よくわからなくても丸暗記でなんとかやってこれました。でも今はやってもやってもすぐ忘れる。年を取るって、「こんなはずじゃなかった」と思うことを、どんどん受け入れていかなければならなくなることなのだと、身に沁みました。もう無理だ、と、やけになっていた試験の日の朝に、新聞の朝刊のコラムに受験生へのこんな言葉が載っていました。
 「積み重ねた頑張りは気付かないうちに身についていくもの。たとえ模擬試験に成果が表れていなくても、学力は地下水が動くように静かに定着してきている、そう信じよう。その先の春を励みにしたい」

 昨年1年、分からない難しい初めて学ぶことばかりで、レポートも試験も惨憺たる結果ばかりだったけれど、それでも自分の中にそれまで知らなかった多くの学びは入ってきていたなぁとその記事を見て思いました。できないことも、時間がかかることも認めて、あがきながらやっていくしかないと思いました。自分の中の地下水を蓄えよう、と思いました。コラムを書かれた方は、多くの受験生に向けて書かれたのだと思いますが、私には言霊として届きました。

 今日は長女夫婦が子どもとともに帰省します。孫は電車が好きで、この前初めて「電車!」と見て言葉を発することができました。その様子は我が家のみんなを幸せにしてくれて、私も何度も携帯の動画を見て言葉を聞き取ります。物と言葉が一致して、さらにその言葉を発することができるまで、親は繰り返し教え、そしてついに言えるようになる。立った、歩いた、言えた、と幼い子どもの成長は、本人も周りも幸せにします。ここにも言霊がありました。

 試験はやっぱりだめでした。勉強不足過ぎます。結果はまだ出ていませんが、また受けることになると思います。終わった直後はまた駄目だったと泣きそうになりました。でも、携帯を見て、「電車!」の叫びに、にこっと笑うことができました。チャンスがあることをありがたい、と思わなくては。身近な者からだけでなく、見知らぬ人からも言霊を受け取ったのですから。
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 そんな昨日を経て、今日初めて見るお庭です。心がくたくたになっている時は、長い歳月を経て命を営み続けている、こうした史蹟に包まれるのが、私には一番です。生き続けることの苛酷さを含んだうえでの静謐に、為すべきことを黙々と為す営みの価値を教えられます。吹雪舞う中で、凛とそびえ立つ木々を見て、私もそのように、自分の命の炎を燃やしたい、と思います。
 次の出勤日には、木々に真向える私でありたいです。その時どんな言霊をお庭は届けてくれるでしょうか。

清水園/ひろ


# by hoppo_bunka | 2026-01-11 16:16 | 清水園 | Comments(0)

山に入る

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 先日積もっていた雪は跡形もなく消えてしまいました。12月にしては、暖かい清水園です。書院から眺める自然は美しい、と思いながら、一昨日訪れた新津丘陵の古津八幡山遺跡のことを思い出し、そうだ、これは人の手が入った美しい景色、お庭であって、「自然」そのものではない、と思い直しました。清水園の中の自然は、美しさが追求され、安心して眺めを楽しむことができる、守られた空間であることを、改めて感じました。

 考古学の勉強で、一昨日は「史跡古津八幡山弥生の丘展示館」と「新潟県埋蔵文化センター」を見学しに出かけました。展示館の玄関に、「イノシシ注意」の貼紙があり、古津八幡山遺跡に向かう上り道には、「クマ出没特別警報発表中」の看板が立てられていました。
 最近頻繁にテレビで見かけるクマの怖い顔が描かれているその看板を見たら、誰もいない山道を徒歩10分、はたして上って行って良いものだろうかと迷いました。もし、クマやイノシシに遭遇しても、誰も私が山に上っていることなんて知らないから、助からないかもしれない、と思うと、天気が良く最高に気持ちが良い日だったのに、急にとても怖くなりました。
 それでも、県内最大の円墳を見に今日は来たんじゃないかと、気持ちを奮い立たせてやっぱり見てみたい、行こう、と決心しました。

 こんなに警戒しながら山に入ったことは、それまでありませんでした。周囲に目を見張らせて、物音を聞き漏らすまいと耳を欹てながら、でも、速く頂上へと、どきどきしながら山道を上りました。数分しかかからないのですが、襲われたらどうしようと、とても怖かったです。
 でも広々とした墳丘に辿り着くと、恐怖より、古墳を見ることができた喜びでいっぱいになり、見晴らしの良さと青空が元気を与えてくれ、弥生時代の暮らしに思いを馳せながら、濠の周りを巡りました。

 わずか数分の間でしたが、私も当時の人たちと同じ様に、外敵を警戒し、自分で身を守るために、絶えず感覚を研ぎ澄まそうとしました。守られた環境の中でない限り、自然は畏怖の対象で、現代のヒトは原始に比べると限りなく弱いと感じました。大地も、森も、山も、川も海も、そして動物も、自然は美しいだけではなく、時には牙をむく。考古学を勉強することは、ヒトの辿ってきた歴史を知ることで、それは今を見つめ、生き方を問うことに繋がるのだと思いました。

 
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 毎日、「美しい」「趣がある」の一言でお庭の様子を表現していましたが、本当の意味でお庭を見ていなかったのだと思いました。
もっと、もっと、五感を使って、全身で対峙しなければ、本質には迫れないのだと思います。頑張ったつもりではなくて、本当に頑張らなければと思いました。

清水園/ひろ

 

 

# by hoppo_bunka | 2025-12-20 17:32 | 清水園 | Comments(0)

錦秋の清水園

 
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 激しく降り注ぐ雨に打たれても、紅葉は美しいままで、全てを受け入れています。
 ああ、心を美しく保ちたい、と思えるお庭が、冷たい雨の先に広がっています。

 
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 毎日の暮らしの中で、時折、いつもなら聞き流せることが心に重くのしかかって来ることがあります。そんな折に、静かに気持ちに寄り添ってくれる空間が門の先に広がります。

 
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 錦秋の清水園。心を縛るあらゆるものから解放し、美しさだけを残してくれるお庭です。お一人でも、お連れ様とご一緒でも。
 どうぞお楽しみくださいませ。

清水園/ひろ
 


# by hoppo_bunka | 2025-11-18 12:58 | 清水園 | Comments(0)

必要とされないもの

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 レポートを書く必要があり、県立自然科学館に行ってきました。20日にも実は行ったのですが、1日かけても見終えることができなくて、再び出かけたのです。でも、午後からしか時間が作れなかったため、今回も時間が足りず見終えることはできませんでした。
 子どもたちが小さい時は何度か行ったことがありましたが、その頃は、こんなに面白いとあちこち見ようとしませんでした。もともと私は歴史や文学には興味があり好きでしたが、科学や化学、数学は苦手で、かろうじて生物や実験には関心を持てても、他は全く面白さを感じていませんでした。高校生の頃は物理など、全く理解できず、それなのに理系しか選択することを許されなかったので、とにかく苦痛でした。

 それなのに、こんなに楽しいなんて、びっくりしました。理論がわからなくても、見ていてどれも面白かったのです。宇宙に関する映像など、見ていると引き込まれてしまい、そうこうしているうちに、どんどん時間は過ぎていきます。途中で、展示をこのように見続けていたら、またしても、全部見終えることはできない、と見るのをあきらめましたが、10代の頃にこの面白さに気付いていたら、どんなに勉強が楽しかったことだろうと思いました。

 今回とっても印象に残ったのは、キツツキのエサの捕り方を見たことです。木に穴を掘って、その奥の虫を食べるということは知っていましたが、舌があんなに細長く伸びて、しかも突起がついて粘り気があり獲物を捕らえやすくなっているということを知りませんでした。頭の中で理解していることと、事物を見て理解することの大きな違いを体験しました。土星には環があるということは習っていても、実際に望遠鏡の先に見えた小さな小さな土星に確かに環が見えた時の感動と同じくらい、すごいと思いました。

 鳥の舌にそんな秘密があるなんて。生き物は皆それぞれに、それが最も生き残るために必然とする形態で存在しているということを改めて感じました。

清水園の池のカモも、観察するときっと地球から与えられた生きるための形態があるに違いありません。そしてそれは動物だけではなく、植物にも。

 科学館の展示パネルの解説を読むうちに、これは現段階で分かっている事とか、まだ謎は解明されていません、と書いてあることがたくさんありました。たった一つの展示にも、さまざまな解釈があり、違った見方があります。インターネット検索が気軽にできるようになり、最初にヒットした情報を鵜呑みにしがちな傾向が私もたくさんありますが、情報操作も非常に多くなっている現代では、自分で調べ考えることがとっても大切になっていると思うようになりました。

 時間が無い、やりたい事ですら我慢して止めているのだから、勿論関心や関連性のないことは切り捨てる。必要なことだけをやっていく。そんな風に現状の私は焦り、じたばたしているのですが、科学館の解説を読んでいるうちに、要らない情報なんて、ないのだと思うようになりました。
 以前、友達がずっとひとつのことを研究し続けていて、結局それは目指していた課題解決には直接つながらなかったと言った時、ずっと探究していたのに、報われないで終わるってどんな思いだろうと考えたことがありました。でも、「そうではないということがわかった。」と淡々と言った彼の言葉と研究の大切さが、ようやく理解できました。違っていた、解決には至らなかった、ということも、大切なデータであること。価値ある発見は、それらの違っていたという数々のデーターの蓄積を土台として出発しているということ。物事の進歩や発展の陰に、限りなくたくさんの失敗や、違う考え方からのアプローチがあり、それが求めているものへ近づく道を切り拓いていることなどが少しずつ理解できるようになりました。
 
 だから最近は、回ってきた冊子や新聞、チラシなどを、あまり関心がないと思ったものでも、さっとですが目を通すようにしています。それらは自分から決して手に取ろうとはしないだろうと思うものでも、時折、新しい世界に導いてくれるものが含まれていたりします。
 害虫のコンサルタント(㈱)サニーサニタ―が発行しているサニタ―ニュースでは、VOL587で、虫糞茶についてとりあげていました。京都府の「起業家アワード特別賞」に輝いたガの幼虫のフンからお茶を作るという異質なアイデアやコーヒーの「コピ・ルアク」など、「糞=不潔」という先入観を超えて、微生物の働きによる味覚の探求事例が紹介されていて読んで衝撃を受けました。虫自体がそんなに私は好きではなかったので、この会社から届くニュースは、知らなかったことをどんどん教えてくれる発見、感動に満ちています。そして、この微細物の働きによる、食物の循環したつながりは、自然科学館のお米を作ることに関する展示の中でも堆肥として取り上げられていて、「これと同じだ。」と頭の中で結びつきました。
 当たり前のことですが、見たいものだけ見ていたら、辿り着けなかった新しいものの見方です。

 清水園の書院には、さまざまな作品展や催しの御案内が置いてあります。もしかしたら、その中に皆さまを新たな感動の世界へと導くものが紛れているかもしれません。世の中に出ている情報は、発信者にとっては、発信する価値のある情報です。その価値はどこにあるのか、自分とどのような考え方の違いがあるのか。切り捨ててしまうのは一瞬だけど、その前に、学ぶべきものはないかを確かめるのは、大切なことなのではないかと考えるようになりました。衝動的で感覚重視の私の生き方を、今少し回りに目を向けるように変えようとしています。

 清水園/ひろ



# by hoppo_bunka | 2025-10-30 18:56 | 清水園 | Comments(0)

記憶に残る

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 秋の文化財特別公開があるということで、義母を連れて小千谷市にある西脇邸に見学に行ってきました。非公開の邸宅内に入ることができ、案内ガイドもあるということで、勉強のため最初は一人で行こうと思っていました。場所を調べてみると、そのすぐ近くに、亡くなった義父が子どもの頃、お坊さんになるために家を出て、住み込みで学校も行かせてもらったお寺があることがわかりました。当時、義父の家は兄弟も多く、とても義父を学校に行かせる余裕はなかったそうです。  
 これは義母も連れて見学とお寺にお参りもしてこようと思いました。

 お寺に伺っても、もはや高齢で亡くなった義父のことを知っていらっしゃる方は、もう残っていらっしゃらないだろうと思っていました。ちらっと本堂を覗いて、できたらお参りだけさせて頂いて帰ろうと思っていましたが、ちょうどご住職が他の方の法要を終えられたところだったので、向こうから話しかけてきて下さいました。
 「以前、亡くなった義父が大変お世話になったところだったので、一目見たいと思って参りました。」とお伝えすると、名前をお尋ねになったので申し上げると
「知っています。よく覚えています。家内も覚えています。」とおっしゃいました。ご住職がまだ小さかった時に、義父がお寺にいた時のことや、先代のご住職が亡くなられた時に、お葬式に参列した時のことなどを話してくださいました。喜んだのは、義母です。義父の若いころのお話を伺って、本当に嬉しそうで涙ぐんでいました。私も、亡くなった義父のことを覚えていてくださる方がいる、ということがこんなに嬉しいとは思いがけないことでした。

 義母は高齢ですので、きっと義父と二人でこのお寺に結婚の挨拶に伺ったりしたことはあったでしょうけれど、何一つ覚えてはいませんでした。そして、家に帰って来た時には、その日に行った所もご住職と話したことも、みんな忘れていました。ですが、「おじいちゃんがいたお寺に行って、おじいちゃんのことを覚えていてくださった方とお話をしたよ。」と言うと、「ああ、そうだった。お参りをしてきたか。志は置いてきたか。懐かしいなぁ。じいちゃんのことを覚えていてくれたか。」と再び涙ぐみます。

 その人がいなくなるって、その人のことを覚えている人がいなくなった時なんだと思いました。それはその人が生きた証で、亡くなった後でも、遺された人は、その人によってもたらされたものを、抱えながら生きていきます。義父の元気だった時の姿が次々と浮かんできました。
 それは人に限ることではありません。

 清水園には何回も来てくださるお客様が大勢いらっしゃいます。ありがたいことに、お客様の中に、清水園はちゃんと残っているのだなぁと思います。「また見にきたよ。」と言ってお入りになり、「また来るね。」と言ってお帰りになる。何気なく受け取っていたそれらのお言葉のありがたみに、ようやく今気づきます。

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 心に残る人。心に残る場所。亡くなった人も、訪れた場所も、自ら語ることはないけれど、思い出は雄弁。そして、人も場所も、最もその人、場所らしいものが心に残る。数多くの物事や年月の中で。
 怖いもの知らずで思うように生きていた義父の姿をご住職は覚えていらっしゃいました。家を出され知らない土地で暮らしても、義父は元気に自分の力で人生を切り拓いていったんだなと、嬉しくなりました。私は今、なかなか思うように事が進まず、四苦八苦しておりますが、いらっしゃるお客様と同じ様に、今日は静かなお庭に迎えられるご褒美をいただいています。園内は少しずつ色づき始めました。

清水園/ひろ
 



# by hoppo_bunka | 2025-10-14 14:54 | 清水園 | Comments(0)