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本館ブログ新春号 享保雛

立春を過ぎました。今年も大広間に享保雛が飾られました。堂々たるたたずまいに穏やかな表情のこの雛人形がお出ましすると、「春近し」と心明るく感じます。この享保雛は七代目伊藤文吉(1896-1958)の時代に京都から購入されたものです。そのほか雛の詳しい来歴はわかっていません。

享保雛という名前と制作年は必ずしも一致しないようですが、主に江戸時代の享保年間(1716-1736)に町家で盛んに作られた雛人形とされています。あまりに豪華に大型に・・・!と過熱していったため、享保六年(1721)には贅沢な雛人形を取り締まる禁令が出たほどです。また松平定信の行った寛政の改革(1787-1793)では倹約令として庶民の雛人形は八寸(約24㎝)以下と決められました。当館の享保雛は高さ約60㎝ですので、この倹約令が出される以前に作られたか、あるいは出たあとでもなお大きな雛人形をつくることが許されるような力ある人物の所有だったのではないか と現段階では推測しています。
このように享保雛は大型で華やか、また顔は面長で能面に似た表情を持ち、女雛の衣裳は綿を入れて膨らませてあるのが特徴です。当館の享保雛の衣裳を見ますと、男雛は束帯(そくたい)、女雛はい五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・少し見えにくいですが後ろには腰から下に広がる裳(も)をまとった姿で、やはり綿を入れてふくらませてあります。また女雛の懸帯には当時西洋からの舶来品で高価な貴重品だったビロード生地が使われており、その帯には三角形2つを上下に組み合わせた六芒星(ろくぼうせい)と呼ばれるマークのような、あるいは籠目(かごめ)と呼ばれる文様の縫い取りが見られます。籠目は文字通り籠の編み目を図案化したもので魔除けとしてこの文様を用いることがあったようですので、子女の健やかな成長や無事を願って作られる雛人形らしく女雛の帯にあしらわれたのではないでしょうか。これら女雛の衣裳の特徴をたどっていくと当館の享保雛の来歴がもう少しわかるのではないかと考えています。

この享保雛を七代当主が自分の目で見て購入したかどうかそれははっきりとわかりませんが、もしも七代当主が生きているならば「なぜこの雛人形を選んだのか」と問うてみたいと思うことがあります。それくらい伊藤邸の大広間にふさわしい威厳溢れる雛人形だと思います。

雛人形の歴史や種類、雛祭の起源など「おひなさま」をとりまく世界への興味は尽きることがありません。それらを探る過程で、当時の人々がどんな世の中でどんなことを願い憧れて生活していたのかを想像すると、遠くは平安または江戸や明治の時代の人々に対する心の距離感がぐっと近くなるように感じられ、あらためて「おひなさま」が多くの人を魅了する訳がわかったような気がします。

北方文化博物館の享保雛展示は2/4(日)から3/25(日)まで大広間にて。ぜひご覧下さい。

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本館ブログ/担当:こでまり



    




by hoppo_bunka | 2018-02-09 18:59 | 本館の日常 | Comments(0)

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