歌は時々思い出の瞬間に移動させてくれます。荒井(松任谷)由実の『雨のステイション』病室にはこの曲が、ゆるやかに流れていました。
私は聞こえるともなく小さな声で、この歌を口ずさんでいました。目の前には心電図のモニター。デジタル数値は絶え間なく変わっていきます。
~六月は蒼く煙って なにもかも にじませている~
「怖くないよ、お父様が迎えにきてくれるからね。」そう言って義妹の手を握りました。もう返す力は残っていません。死ぬ時は、愛する人に抱かれ、愛する人達を抱いて死んでいきたいと願うけれど、やっぱり人は、たった一人で生まれてきて、たった一人で死んでいかなければならないんだなぁと思いました。
~雨のステイション 会える気がして いくつ人影見送っただろう~
曲が流れる中、数値が急にどんどんどんどん小さくなっていきました。あっと思った時には、一本の平らな線が引かれ、ゼロの数字になっていました。14年癌と闘病を続けた義妹が亡くなってから1年が経ちます。明日は命日です。
ほとんど意識がなくなってからも、病室には好きだったCDを流し、子どもたちは枕元で話しかけていました。松任谷由実は亡くなる2年前にコンサートに行ったので、それもあって、よくかけられました。義妹も私も大学時代にユーミンの歌をよく聞きました。スキー場では必ずと言っていいほど、ユーミンの曲は流れていました。今の何倍もの人たちがゲレンデにいました。会社や学生寮もゲレンデの側にはたくさんあり、友達と朝から晩まで一日中滑りっぱなしで夜はお酒をいっぱい飲んで。2歳違いの義妹も、きっと同じようにあの頃、友達とあふれるくらい楽しく輝く日々を春夏秋冬過ごしていたことでしょう。
~新しい誰かのために 私など 思い出さないで~
あんなに大好きだった人。一生ずっと一緒に過ごそうと思った人。時は巡り今は別々の人生を過ごしています。人は死ぬまでにいったいどれだけの人と思いを共有していくのでしょう。もし、あの時こうしていたら、おそらく今とは違う人生を歩んでいただろう。でも、人生にもし、はありません。そして一生側にいることができる人は、ほんの限られた人だけです。
雨のステイション。駅には大勢の人が行き交っていて、みんな自分の側にいるのに、触れ合うこともなく通り過ぎて行く。心を占めているのは愛した人だけ。死ぬ時って、きっとそうなんだ、と思いました。何も持たずに生まれてきたから、何も持たずに死んでいく。でも心は愛する人とのかけがえのない日々の思い出でいっぱいになって、「いい人生だった。また会おうね。」と言って死にたいと思いました。
長生きをするお年寄りって、すごいって尊敬します。あらゆるものを内に秘めながら生きてきたのですから。幾星霜を生き抜いた松の木が気高く美しいように。
お庭の木々を見つめていると、厳かな気持ちになるのは、自分もちょっとだけ人生を重ね、楽しいことだけではなく、哀しみも味わってきたからだと思います。
蒼く煙る六月。思いを埋めるためには、時と距離が必要だった。
清水園の門も、みなさまの心の入り口に向かって静かに開いています。雨のお庭は、懐かしいどなたかの面影をお呼びするかもしれません。
抱擁のごとき一瞥梅雨に入る
清水園/ひろ