苗を植えてから、朝がめちゃくちゃ忙しくなりました。畑と花壇と前庭と、3か所の水やりをしなければならず、手入れもしなければならないからです(清水園ではなく、自宅のことです)。出勤日は大忙しですが、野菜も花も日々成長していくのが今とっても楽しみです。昨年から始めた畑は、欲張って植えたら同じ時期に野菜が一気に実るので、食べきれず反省し、今年は1種類を2本ずつ植えました。
トマトの苗を植えようと袋から出したら、しまった!茎がぽろっと折れてしまいました。可愛らしい葉がついていたのに。悲しくて、あきらめきれず、根と茎と両方植えました。多分無理だろうなと思いながらも。
他の苗は順調に育っているのに、その折れた苗はどんどんしおれ枯れていきます。やっぱりだめだろうな、と思っていたのですが、なんと、先日生き返りました。土色で他と比べると1本だけとっても目立って死にかけているように見えるけれど、それでも自立して踏ん張っています。
ごめんね、よく頑張ったね、と謝り一層愛おしくなりました。
青々とした艶の良い葉を持つ苗たちは、確かに生命力に満ちているのでしょうけれど、死の際まで行って復活してきたこの苗こそ、本当に生命力に満ちているんだと思いました。見た目ではもうおしまいのように見えるけれど。外見で判断してしまうことってたくさんあるのだと思いました。そして本当のことはなかなか目には見えない。
似たような経験が学生時代にもありました。お盆で帰省している間に浅草のほおずき市で買ってもらった鉢植えが、枯れてしまいました。ショックで「ごめん、ごめん」と謝りながら、水をじゃぶじゃぶかけ、それでもだめなので、最終手段とバケツの水の中にドボンと浸けました。すると数時間後に見事に回復しました。『ああ、復活の前には死があるね』というロマン・ロランの言葉が飛び込んできました。
地の底に倒れ伏しそうになっても、こらえ這い上がってくる力。生きようとする強い意志。そうやって生き続けていくものは、強いです。そして今のこの社会状況の中に生きる私たちも、そういう力がきっとあるに違いない、と思うのです。
畑や花壇にいると、それまで気づかなかったいろいろな発見や体験があります。
夏の草取りはハードで、1日で体重が1~2㎏は軽く痩せます。こんな苦労をして、農家の方々はお米や野菜を作ってくださるのだと思うと、私の苦労なんて比べ物にならないちっぽけなものだけれど、想像でき、感謝の思いが沸いてきます。
草取りは、「苦悟り」とはよく言ったものだと思います。
木々に囲まれた清水園のお庭では、いったいどれだけの事を学べるでしょう。草木や石、お茶のことをもっともっと勉強して、見ているつもりで見ていなかった、ものの本当の姿に気付けるようになりたいと思いました。本を読んだり、庭園セミナーなどの講座に参加したりして、見過ごしてきたものの本質や価値が分かるようになっていきたいです。そこには心揺さぶる人の思いと、大いなる自然の力が必ずあるでしょうから。
日照りが続いても、じっとこらえているお庭の木々。美しい風情という点だけに注目していたお庭は、生きようとする強い意志の満ち溢れる、命みなぎる場所でもありました。
命の尊厳の輝き。トマトの苗やお庭の木に、「私も全力で生きているよ。」って言える姿を見せなきゃなって思いました。
2020年の浅草のほおずき市は、感染症対策のため中止となりました。人の営みとは別に、ほおずきたちは今、鮮やかな朱色で命の灯を燃やし続けていることでしょう。
一度だけくちづけ交わせし夜のしじま ほおずき市の風鈴の音
清水園/ひろ