2020年 07月 12日
願いごと
今年の七夕は、九州豪雨など各地の災害のニュースが次々に報道され、新型コロナウィルスの感染者数の増加もあり、例年のように星祭を行うことも憚れるような雰囲気を感じました。
それでも、こんな時だからこそ、世の中が安らぐことを願わなくてはと、短冊を用意し家族にも配りました。雨、雨、雨の一日でしたが、夜になってようやく止んだわずかの隙に、今だ、と玄関先に出て飾りました。
短冊を前に何を願おうか考えた時、子どもたちが幼い頃、一緒に飾り付けをした日のことを思い出しました。一生懸命子どもたちが書いた願いごとは、どれも私がちょっとお金を出したり、時間を作ったりしたら叶うことばかりでした。大人にとっては簡単に叶うことが、子どもたちにとっては、心から叶ってほしいことなんだと思ったら、そのひたむきさに心打たれました。
私も子どもの頃は、「○○になれますように。」とか、「好きな人と一緒になれますように。」とか、書いていたなぁと思い出します。いつの間にか願いは自分のことよりも、人のことに向けられるようになりました。否、人のことが自分のことのように感じられるようになりました。自分のことでいっぱいだった心に、住んでいる人が増えてくるようになりました。
今年私は、世の中が少しでも良い方向に向かうことと、クラウドファンディングをした支援先の事業がうまくいくこと、そして家族の健康を願いました。心に秘めて書けない願いごともあります。それは、両面が光る美しい短冊として飾りました。
翌日の朝、忙しくて書けなかったんだろうな、と思っていた夫が、家を出がけに、大急ぎで短冊を結びつけていました。それも「やばい、水溶性で消える。」とか、「ここは、同じ色が重なるから良くないな。」なんて言いながら。
書いてくれたんだ、と思って見てみると、おばあちゃんと子どもたちのこと、そして私の体への気遣いと幸せ、全部家族のことでした。
今年は、長男は短冊を書きませんでした。本当に願っていることは、私の光る短冊のように、とても表には出すことができないことなのかもしれません。
本当の願いは書けぬ短冊の揺れて今年も一人見る空
新聞に豪雨災害で亡くなられた方々のプロフィールの一部が載っていました。「花が好きで自宅で育てていた。」とか、「夫と二人でテニスを楽しんだ。」とか「静かに一人暮らしをしていた。」とか、お一人お一人のお写真とプロフィールを読んでいるうちにどんどん涙が溢れてきました。何気ない一言で書かれた何気ない日常の暮らし。それらが一日で奪われ今はもうないということ。
こんなに世の中が大変な時に、願いなんて、と思いそうになる酷い状況ですが、だからこそ、「今日の暮らし」を大切に守っていかなければならないと思いました。今日生きているだけで、それは天からの贈り物。あの亡くなった方々が来るだろうと思っていらした「今日」を自分は手にしていること。それだけでも最高の贈り物をもらっていることになります。
どんな形であれ、生き続けていけば、苦しかった「今」も、明日になれば乗り越えられた「昨日」になる。
願ひ皆破れし日には星空のシャワーを浴びたつゆくさになる
自分の力ではどうにもならないことが時折起こり、苦しみや悲しみが襲ってくるのが人生ではあるけれど、お庭の花や木々が続ける一筋の生き方を、私も貫きたいと思います。この梅雨空の過ぎた後には眩い星空が広がって、多くの方々に明日の力を与えてくれますように。
清水園/ひろ

by hoppo_bunka | 2020-07-12 17:04 | 清水園 | Comments(0)


