7月14日に清水園で行われた庭園セミナーに参加しました。
お茶室に入ったのは、2回目でしたが、講師の方の説明を聞き、自分では気づかなかった室内の見方や景色の見方を学ぶことができました。
同仁斎に座ってお庭を眺めますと、書院に座って眺めるのとはまた違ったお庭の趣を味わえます。座ってみると、外から眺めるよりも中はずっと広く感じられました。どのお茶室も、この位置から見るお庭、というものを味わえるように作られていて、おもてなしの心が自分に向けられているのを感じました。
実際にお茶をいただくわけではないので、軸も花もなく、室内の趣を味わうだけなのですが、こういうところに藤原定家が「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」と和歌に詠んだような、わび、さびの趣があるのだろうと思いました。
四季折々の花鳥風月の美しさとは違った、もう一つの美しさ、装飾を一切削った簡素で研ぎ澄まされた美のようなものに、人は心惹かれることもあると思います。お茶室で見るものは、部屋のつくりも、軸も花もお道具も、そして景色も、全て厳選されたものです。
それに庭師はこたえようとして庭を造るわけですから、別の場所でもお茶室に入る機会があったら、ぜひ、そこから見える景色を味わおう、と思いました。
厳選された美しさ、という点で秀吉と利休のエピソードを思い出しました。
当時としては珍しい、と言われていた朝顔が、利休の庭で一面に咲いているという話を聞いた秀吉が、それを見るのを楽しみに出かけました。すると朝顔は前日に全て摘み取られ、一輪も残っていませんでした。怒りを抑えながら茶室に入った秀吉の目の前に、一輪の朝顔が活けられていました。
以前、『フランス人は10着しか服を持たない』という本を読んで、暮らしの質を高める秘訣に感銘を受けたことがあります。
・間食はせず、食事を存分に楽しむ。
・上質な物を少しだけ持ち、大切に使う。
・散らかっている場所を一つずつ片付ける。
・毎日を「特別の日」のように生きる。など、私の生活からはほど遠いことばかりでしたが、読み終わった日から少しずつ断捨離を進めてきました。まだまだやらなければならないことや場所はたくさんありますが、少しずつ住んでいる空間が快適になっているのを感じます。
それまでは、空いているスペースがあると、色々なものを詰め込んでいましたが、思い切って何も置かないことにしました。すると、部屋がゆったりして心地良くなりました。さすがにお茶室のようにはできませんが、執着する心から切り離され、大切なものだけに囲まれる生活に、いつかたどり着きたいと思います。
お庭やお茶について学び、体験をしながら、古の庭師やお茶人が求めた美しさを感じ取れるように、変わっていきたいです。間食は、はたしてやめられるでしょうか。散らかっている場所は?家族や友人、同僚に笑われそうです。
最高の環境にいるのですから、家族にもこの心地よさを届けられるようになりたいです。これからも庭園セミナーで鍛えていただきます。
清水園/ひろ