2020年 08月 09日
お返しは?
by hoppo_bunka | 2020-08-09 17:12 | 清水園 | Comments(2)
ある本を紐解いた時に、そんな言葉が出ていました。
学徒動員の悲しい記憶の時期の事です。
戦友の死を前になすすべもない筆者が、自分に問いかけた言葉です。
記事を読んで、ふとそんな言葉を思い出しました。
(出典;戦艦大和ノ最期)
きょう一日を無事に生き延びたことは、さまざまな善意、助け、励みがあってのこと。
私も食べ物をいただくときには必ず、ひとときでも掌を合わせ、逝ってくれた生命に感謝する刻をもつようにしています。
獣や鳥を殺して生きていて、いったいどうすれば罪作りな人生をそうでないものに変えることができるのだろう?
そう悩んだこともあります。
結論は出ていませんが、
せめてできることは、
己の能力を最大限に発揮して世間様に向けて発信する事だろうと感じています。
ささいなこと、ささやかなことで構わないから。。
それができるとき、できないとき、
休まねばならないとき、蓄積しているとき、
いろんなときがあるけれども、せめて逝ってくれた生命たちにたいするリスペクトは、忘れないようにしたいと感じています。
歳重ね 得しものありたけ 振りかぶり
今この時ぞ この時に賭く
すこし、男っぽいですが。(^^ゞ
コメントをいただきありがとうございます。生命たちに対するリスペクトというお言葉から、神沢利子さんの絵本『鹿よ、おれの兄弟よ』を思い出しました。
シベリアの漁師の主人公は見事な鹿を仕留めると、敬意をもって解体し、全て余すところなく暮らしに取り入れていきます。その肉を食べる時は、「鹿はおれの血となり肉となる。だから俺は鹿だ。」と言うのです。
それまでこのように考えたことがなかったので、命を食べ生きていくことを考えさせてくれた絵本でした。
お盆や終戦記念日などで、今生きていることの重みを考えさせられていた中でのコメントでした。敬意を忘れることなく生きていきたいです。ありがとうございました。
清水園/ひろ