強風の吹き荒れる朝、バイパスを運転していると、何度か風で車が横に押し流されました。
怖いなぁと思って、ぎゅっとハンドルを握りしめて運転していると、フロントガラスの前を一羽のカラスが風に向かって飛んでいました。
車ですら吹き流されるような強い風を全身で受けながら、飛ぶ、というより、その場にかろうじてとどまっている、といった感じで遅々として進まないのですが、わずかながらも風に向かって進んでいきました。表情まで見える気がしました。
全身が頑張っている命そのものでした。道路が凍結していたその日は、吹雪の舞う凍える寒さでしたが、そのカラスを見たら、「寒い。」なんて言ってられなくなりました。心に火がつきました。
以前、自分の子どもはいないのに小学校の運動会があると、つい見に行ってしまう、という人の話を読んだことがあります。低学年の子どもたちが、かけっこをしているのを見ると、胸がきゅっと熱くなり、涙が出そうになる、というのです。幼い子どもたちが一生懸命頑張っている姿を見ていると、生きることを一生懸命しなければならないなと、じーんとしてくるのだそうです。それと同じだと思いました。
冬の清水園は風に吹きさらされ、寒さが身に染みてきます。一刻も早く、暖かい所に行って体を温めたい、と思う反面、雪や氷に覆われたお庭を見ていると、厳しい自然の中に燃え立たせている命の火を感じ、力が湧き起こってきます。大自然の前には人は無力。自然と対峙していると、それまで身に着けてきたものは、みんな脱がされて、自分の本質だけが現れ試されているような気になります。お前は本気で生きているのかと。
錦秋の燃えるような美しさを全部そぎ落とした後に残っているものは、生き延びようとする命の鼓動。そのリズムに呼応できるように、私もあのカラスや幼子のように、命を燃え立たせて生きたい、と息を深く吸い込みました。
末端冷え性でしもやけに悩み、寒い寒いと背中にしょい込むくらいに石油ストーブを側に置き、着膨れているくせに、こんな風に書いているのは恥ずかしい限りですが、自分の人生なんだから、自分がやらなければ誰がやるのだと、あのカラスを目指してあがいております。
清水園/ひろ