人気ブログランキング | 話題のタグを見る

目は得ているものに

 音もなく雪が降り出すと、サーッと空から流し込むように、またたく間に屋根も枝も苔も、粉砂糖を振りかけられたように白く染まりました。時折霰が混じることもあり、小さな粒がパラパラと飛び散ります。亡くなった犬のリオは、この霰を食べるのが好きで、散歩しながら よく飛び跳ねてくわえようとしていたなぁと、懐かしさがこみ上げてきました。
 散歩が好きで冬の寒さなど、ものともしないので、リオが来てからは、雨だろうと吹雪だろうと、濡れても平気で出歩きました。
 今、ひとりで歩く冬の道は、寒くて辛いです。霰が混じると心の中でリオを呼び、リードを握る手になります。また一緒にお散歩に行こうね、と見送ってから、もうすぐ4年になります。
 
 今年ほど、死を意識し、周りとのつながりを求めた年はありませんでした。何らかの形で心の準備ができる死ではなくて、突然襲い掛かってくる死についてです。コロナウィルスのせいで、容態が急変し亡くなってしまった患者さんの映像をテレビで見たせいもありますが、ある意味本当の、考えないようにしていた死への恐怖が湧き起こってきました。抗うことは決してできないものなのに、恐ろしくて必死で抗おうとしていました。

 もし、今日寝て明日起きた時に、全く身動きできないような状態になっていて、そのまま死んでしまったらどうしよう、明日があるなんて誰もわからないのに、なんて考えだしたら、眠るのすら怖くなってしまう、そんな風に考えるのは初めてのことでした。
 大好きな人、大好きなもの、それらと離れてたった一人になる、そう考えると怖くて切なくて、大切なものを失う悲しみで頭がいっぱいになりました。
 そんな思いを抱えながら出勤し、お庭を見にいこうとして門に向かうと、いつもの静謐な世界がそこにありました。
 
 少しずつ、心が落ち着いていきました。百閒馬場の中を歩きながら、あるがままで良いのだ。自然に生きる。もともと生命は死を抱え込んで生まれ、生きていくのだから。と諭されているような気持ちになりました。
 自然は最高のホスピタリティだと思いました。自分の気配はすっと消していながら、訪れる人の心を和ませ力づけていく。

 サンテグジュペリが恋人に伝えた言葉が胸によみがえってきました。死を前にして、「置いていかなければならない宝物を持っていることを、神に感謝したいくらいだ。」と言ったというその言葉が、それまではどうしてそんなことが言えるのだろうと、わからなかったけれど、彼は失う悲しみではなく、自分が得た、かけがえのない幸福への感謝を抱えていくことを選んだのだと思いました。

 私たちができるのは、選択すること。
この1年、来園してくださった皆さま、また、心をお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。お庭のようなおもてなしが少しでもできるように、努力してまいります。どうぞお元気で良い年をお迎えください。

M様が撮って下さいました昨日のお庭です。

清水園/ひろ



目は得ているものに_e0135219_19433876.jpg
 
 


 

by hoppo_bunka | 2020-12-27 19:55 | 清水園 | Comments(0)

<< 静中の動 命が頑張る >>