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「今」の価値

 
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 6月20日は父の日でした。嫁ぎ先の父には、大好きだった菊水酒造の「ふなぐち菊水一番しぼり」を、実家の父にはチョコレートケーキを作って、父でもある夫にも何かプレゼントを、と思い、初めてお赤飯を作ってみました。
 お赤飯は思いのほかうまくできて、私にしては上出来でした。豆もご飯もふっくらとして、おいしく、これもお供えしようと容器に詰めていたら、何だか急に悲しくなってきました。
 実家の父に私の料理なんて、食べてもらったことなんて、あったかな。なんで生きているうちに、こういう事をしなかったんだろうと考えたら、切なくなってしまいました。生きている間にいっぱいしなきゃいけなかったのに。死んでから、こんなに上手にできたよって言ったって遅いじゃないかって思いました。

 父の好きなバラは、花束にしようと思って花壇から切ると、みるみるうちに花が開いてしまうので、出勤前に実家に花と料理を届けに飛んで行きました。忙しい思いはしましたが、出来立て、切り立てを「父の日」当日に届けたくて。やろうと思い立ったら即やる、そっちの方が後悔しないから(サッカー日本代表だった遠藤保仁さんの言葉「明日やろうは、ばかやろう」の影響です。)と、大急ぎで高速道路を往復しました。

 「切り立て」と言えば、先週の水曜日にラベンダーを摘み取ってリボンを編み込む「ラベンダースティック」作りの講座に参加しました。摘み取ったばかりの花で作ったスティックは、香高く何度も香を楽しみました。作った当日は部屋に入ると爽やかな香がするほどでしたが、今はどんどん乾燥していて少しずつ香も薄れてきました。命の力ってすごいなぁと感じました。

 休日はしたい事をとことんしようと予定を詰め込んでいるので、その日は「ギャラリーみつけ」に『式場庶謳子木版画展』も見に行きました。作品集を見た時は、高名な芸術家と紹介されたものの、さほど心惹かれませんでした。その後新聞で取り上げられた記事を読み、先輩が楽しみにしているというお話を聞いたので、遠いけれど見に行ってみようかという気になりました。
 会場に入って絵を見た途端に、作品の力に圧倒されました。強く、美しく、作者の体から湧き上がるエネルギーを作品から感じ、すごい方だったのだと思いました。画集では感じ取ることができなかった、本物の持つ力、作品の生命力のようなものが伝わってきて心動かされました。

 命ある草花でさえも、時間が経ってしまうと、その輝きは失せてしまうものなのに、これらの作品のもつ生命力はいったい何なんだろうと、改めてその表現力のすごさと本物を見る価値を知らされました。

 清水園にある門や建物、展示資料などの文化財は歴史あるものが多く、虫やカビ、雨風などによる風化や劣化との闘いで、やがては失われる運命と抗って存在するものばかりです。もし、これらが失われてしまった後に、写真や本などで紹介されたとしても、実物をじかに見た時の感動とは、かけ離れたものがあると思います。この素晴らしいお庭と建物を何としても後世に伝えていきたいと願いました。

 兼好法師は『徒然草』の中で、藤原道長の建立した豪華な京極殿や法成寺の跡がすっかり荒れ果てて変わってしまった様子を哀れに思うと書いています。松尾芭蕉は『おくの細道』で、平泉の中尊寺金色堂を「既に頽廃空虚の叢(たいはいくうきょのくさむら)となるべきを、四面新たに囲みて甍を覆ひて風雨を凌ぐ。しばらく千歳の記念(せんざいのかたみ)とはなれり」と記し、修復と保存の努力について触れています。

 今あるものは、全て時間との闘いの中で存在している。人も花も建物も。だから、今存在している価値を意識して、自分ができることを今行動に表さなくてはと思うのです。
 素晴らしいものを見ると、それは誰かに伝えたくなる。共有することで、感動は更に深まります。先人が、その誰かの中に、遠く未来に生きている私たちを思い浮かべてくれたから、中尊寺金色堂も清水園も「○○の跡」としてではなく、今見ることができます。

 「明日やろうは、ばかやろう。」できることを、今すぐに。

清水園/ひろ

 

by hoppo_bunka | 2021-06-27 17:11 | 清水園 | Comments(0)

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