庭と言ったら、イングリッシュガーデン、あるいはターシャ・テューダーの庭。または桜、梅、紅葉の美しい日本庭園に憧れていました。
季節の花が咲いて、テーブルがあり、お花見をしながらお茶も飲める、そんなお庭です。
でも、嫁ぎ先の庭は、松と石の枯山水で、見た時良いとは少しも思えませんでした。以前は水を入れて鯉を飼っていた時期もあったと聞き、せめて水の流れが見えたら良かったのに、と残念に思いました。石だらけの庭なんてどこが良いのだろうと思っていました。
清水園に来て働くようになり、庭園セミナーを受けたり、他の庭園の見学に行ったりしているうちに、お庭を見る楽しさがどんどん増え、美しさを感じるようになりました。そして嬉しいことに、家の庭が大好きになりました。これは本当に幸せなことでした。小さな庭ですが、豊かな世界がたたえられています。石に表情があり、雨の日はいっそう美しいこともわかりました。
知識が一つ増えるというのは、世界ががらりと変わることなのだと身をもって知りました。
「石は庭の中心生命」と言った田中泰阿弥の言葉の意味がやっと少しわかりかけてきました。
石は至る所で鑑賞することができます。山でも川でも、街中でも。幸せを感じ取れる場所がそこら中に広がって出会いを待っていると思うと、わくわくしました。そんな気持ちの変化をお伝えしようと思って出勤したら、まるで導かれたようなお客様との出会いが待っていました。
お客様のお一人から、受付で田中泰阿弥についてお話を伺っているうちに、「水石」という文化があることを教えていただきました。そして実物の写真をたくさん見せていただきました。季節ごとの掛け軸と水盤に置かれたさまざまな石の表情の素晴らしさに、こんな美しい世界があったのだと思いました。全く知らない文化だったので、ネットで見たら盆栽も合わせて紹介されている記事があり、盆栽の美しさにも心惹かれました。
石に興味を持ったとたんに、その美しさをよく知っていらっしゃるお客様が来園され魅力を教えてくださり、それはさらに、盆栽というこれもまた今まで関心がなかった美しい世界につながっていきました。
お庭の木々も、ひと言で、木々と言ってしまうのは私の知識が足りないからで、もっと学んで木の世界に入り込んでいけば、またうんと楽しみが得られ、美しさを発見すると思います。同じように虫も、空の雲も、吹く風も。美しい世界への入り口は至るところにあります。お庭の中には、まだまだ私の気付かない秘密の扉がたくさんあるに違いありません。
今日はオニヤンマが受付の窓から入って来て、あのスピードと大きな光る緑の眼に威嚇されました。私より、ずっと堂々と誇り高く生きています。やはりお庭の中は美しく、学ぶことだらけです。そして、それをお客様から教えていただく機会が時折あることも、喜びの一つです。
清水園/ひろ