
ヒガンバナが咲き始めました。桜や紅葉はその年によって咲く時期や彩りが異なるのに、ヒガンバナは毎年必ずと言っていいほどお彼岸の日に合わせて花を咲かせることが、とっても不思議でした。葉の一つもついていない、か細い茎を見ても、この花のどこに、地球の気候や大地との強いつながりが隠されているのだろうと思ってしまいます。家の花壇でも、「今年は姿が見えないね。枯れてしまったのかもね。」などと話していると、ある日急に先端が赤くなったつぼみが見え、約束を違えずにいてくれたのに疑ってごめんなさいと謝ります。
地球とのつながりがあるものは、強い。そう思うことがこの夏は何度もありました。
オリンピックの空手の形で、最も強い構えは、体の軸が地球の中心とまっすぐにつながっている姿勢の構えで、360度どこへでも瞬時に動ける姿勢であり、同時に隙がない姿勢の構えであることを知りました。無駄のない、自然とつながる形が一番可能性を持っている状態であることを知った時、選手の姿がなぜあんなに美しく見えるのか納得できました。その感動を更に上回ったのが、パラリンピックの水泳選手の泳ぎです。自分の中の軸をぶれないように体幹を鍛えて各自がそれぞれのやり方で泳ぎ進む姿に、体中の細胞が熱くなるような気持ちにさせられました。この人たちは、水と一体化して泳ぎ進むことができるのだと思いました。
今週の日曜日に、十日町で行われている「大地の芸術祭」に初めて行ってきました。新聞に紹介されたボルタンスキーの「最後の教室」がどうしても見たくて、遠いけれど出かけようという気持ちになりました。廃校の体育館の床一面に敷かれた稲藁の上を歩くと、そのふかふかの感触が足元に伝わると同時に、扇風機によって立ち昇った藁の匂いがかすかに漂います。体育館の中なのですが、大地の存在を体中で感じました。足元のこの感触は、初めてアスパラ農家を見学した時に感じたものと同じでした。
「一番こだわっているのは土です。」と農家の方から教えていただきました。美味しい作物を作るためには、土が命なのだと初めて知りました。
地球とつながっている生き方は、強いし美しい。顔をのぞかせ始めたヒガンバナと同じお庭に立ちながら、どれだけ大地を感じ取って生きているだろうと考えました。自分の軸をまっすぐに地球に伸ばしていったら、今よりもっと五感を働かせることができるようになって、強く美しく生きられるのではないか、この花のように、あの選手たちのように。ヒトは生物の一種なのですから、考えてみれば当然のことなのですが、自然とかけ離れた生活をしていても生きていけるような、そんな錯覚が現代社会にはあります。
出勤して、お庭の中を歩いている時間は、いつも大きな喜びに包まれていましたが、これからは、体の軸をしっかり向けて、足元の感触、木の香、水の流れときらめき、指の間を通り抜けていく風など、つながりを意識して、まず立ってみたいと思います。
清水園/ひろ