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ラストラン

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 先日久しぶりに新潟駅に行きましたら、Maxのラストランが10月1日であることをお知らせする放送が構内を流れていました。
1997年から運行された2階建新幹線は、ここしばらくの間は乗っていなかったものの、東京との往復で随分お世話になりました。
最初は2階から眺める景色が珍しく、トンネルばかり続くのにがっかりしたり、修学旅行の生徒たちが下の階から景色が見たくて上がってきたり、下は下でホームすれすれに入線するのが面白かったりと、10月1日までもう乗ることはないので、懐かしく、ちょっぴりさみしくなりました。
 何かが一つの終わりを迎える時は、物であってもやはり、お疲れ様でしたとしみじみした気持ちになります。Maxと関わりの深かった方々は、きっと格別の思いでいられることでしょう。

 終わりと言えば、前職の職場では退職ということを大変重んじていて、若い頃は、こんな風に丁重にお見送りをするべき事なのか、と思いました。そして、自分が退職する時も、本当に多くの方々から労わっていただき、ありがたく幸せな思いでいっぱいになりました。でも、翌年からは、新型コロナウィルスの影響で、全ての会合は中止となりました。それ以降、静かに退職される日々が続いています。
 世の中には、そのように、静かに最後の日を迎えられる方がたも大勢いらっしゃいます。プロジェクトxの主題歌である『地上の星』の中の歌詞のように。「見送られることもなく」消えていくことだって、きっとたくさんあるでしょう。

 一つの区切りを迎えた今だからこそわかるのですが、やはり長年働き続けたというのは、すごいことです。誰もがしていることではあるかもしれませんが、やはりそこに至るまでの歳月の重みがわかるようになると、心から「お疲れ様でした。」「ありがとうございました。」と言葉が出てきます。物も同じです。だからMaxにも、見に行くことはできませんが、同じ言葉を贈りたいと思います。

 資料館に展示されている渋沢栄一さんの七言絶句の大意は、「春の花が落ちれば、たちまち秋の霜が置く。一瞬の朝日も、たちまち夕日に変わってしまう。人間社会の出来事がはげしく目まぐるしいというのはやめてほしい。よく観てみれば、自然の事物も忙しく移り変わっているではないか。」です。一つの終わりを迎えているのは、物や人だけでなく自然も同じ。それぞれの役割を果たし、それを次のものに受け渡し、自分に与えられた役割を果たし終えていく。
 終わりは感傷ではなく、賛美すべきことなのだと思いました。

 人生のラストランは命が果てる時です。力尽きるその日まで、自分に与えられた責務を全うしたいと思います。

 惜別の宴もなくて弥生尽

 清水園/ひろ

by hoppo_bunka | 2021-09-28 17:16 | 清水園 | Comments(0)

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