緊急事態宣言が解除され、また大好きなお庭や絵を見に行きたいと思うようになりました。
休日に義母と一緒に、蕗谷虹児記念館と五十公野御茶屋庭園、そして渡辺邸の見学に行ってきました。久しぶりに素晴らしい作品やお庭、歴史ある家屋を見て、感動を味わうことができ、喜びでいっぱいになりました。どう考えても、これを「不要不急のもの」として、人生から切り捨てることはできない、と改めて感じました。
蕗谷虹児記念館は、はり絵画家の内田正泰展を見たくて行きました。どの絵も、みんな欲しいと思う素晴らしい作品で、PHPの表紙絵など、とっても懐かしかったです。美しい色合いに見とれながら、私が表したくてもうまく表せないものを、こんなに素敵に表現できるのかと、いつまでも作品を見ていたい気持ちになりました。
これも良い、これも素敵とポストカードを何枚も買いました。そしてこういう気持ちをずっと味わいたかったのだと、しみじみ思いました。
ところがその後に、ずっと前から見学したかった溝口侯ゆかりの五十公野御茶屋庭園に行きお庭を見た瞬間、「ああ、本物にはかなわない。」と思ってしまいました。それまであんなに感動していたのに。どんなに素晴らしい風景が描かれていても、やはり本物の自然にはかなわない、命宿るものには、と思ってしまいました。
きっと風景を描く作家の方々は、私なんかとは比べものにならないくらいに、あの風景の、あの色を表現したい、と希求して創作を続けていらっしゃるでしょう。画家だけでなく、音楽でも、文学でも、何かを表現することを職業として選んだ方々は、きっと生涯胸のうちにあるものを表そうと、命を削りながら挑んでいらっしゃると思います。とくに自然のように命宿るものを表現することは、きっとどんなに優れた芸術家でも、難しく、作品を生み出すまで、どれほど生みの苦しみを味わわれるのだろうと考えました。
自然を写し取るのではなく、自分の中で捉え直した独自の自然、世界を表現するに至るのだろうと想像しました。作品に注ぎ込まれているのは、自分の定めた目標地点に到達するまでの努力と、作者自身の生き方、そして世界なのではないかと思います。
でも、私が見た瞬間、「人は自然にはかなわない。」と思ったお庭も、よく考えてみれば、人の手によって整えられた自然であり、芸術作品であると言えます。お庭は自然物の美しさと同時に、作庭した人の芸術作品としての美しさの両方を鑑賞できるところなのだと思いました。
自然は素晴らしい。そしてそれを生かし創り上げた人もまた。
限界まで挑む人は芸術や文学に限らずスポーツ選手や研究者など他にもたくさんいらっしゃいます。
新聞にスピードスケートの小平奈緒選手の滑走の写真が載っていました。鍛え上げられたフォームと筋肉の美しさに目を奪われ、人間は求め鍛え続けていくと、こんなに美しいものや力を手にすることができるのかと思いました。
求めるものに向かって、命を懸ける生き方や作品は、回りにも力を与えてくれます。自分にはそのような優れた資質がなくても、そういう優れた人や作品に触れると、私も、私の中の命の炎を燃やして生きていきたい、と強く願います。求めているものに向かって、最善の努力を尽くしているかと、問いただされます。
命宿るものは、輝く。私もひとつの命。掃き清められた後の美しい苔を見ながら、自分にエールを送ります。そしてあなたにも。
清水園/ひろ