先日、新潟市の砂丘館で行われた「庭園実技講習 松と高木の剪定」に参加して、樹木の剪定を学んできました。10時から16時まで1日かけて、先生から手入れの時期や整枝、剪定の仕方を教えていただき、初めて松やツツジを剪定しました。
ツツジの剪定では、リズムよく剪定バサミを動かされる先生と違って、不慣れな私は思うようにハサミが動いてくれません。松は、初心者でしたので、高い梯子には上りませんでしたが、低い梯子の上で剪定することができました。
手入れした後と前では大違い。「ああ、これが正しい姿だったのだ。」と見て美しいと感じます。
足元を綺麗に始末しておくこと。隙間を開けて風通しをよくしてあげること。重なりを外して、日当たりをよくしてあげることなど、それまで全く考えていなかったなぁと、家の庭木に申し訳ない気になりました。
いただいたテキストに、「整枝剪定(芽切り)など、いずれも樹木にとっては大手術であり、極めて酷なことです。また、樹木の状態や季節等、いろいろと深刻な状態にも晒される訳です。」と書かれていました。砂丘館で剪定をしていらした先生方は、丁寧に、いたわるように、作業をされていたのは、こういう意識で木々と向き合っていらしたからなのだと思い至りました。
庭や花壇の草木を切る時、「酷だ」と思った事は一度もありませんでした。お庭が大好きなどと言いながら、少しもわかっていなかった、草木に対して、冒瀆するような振る舞いをしていたのだと反省しました。
今、我が家の畑には、トマト、ナス、キュウリ、ピーマンが実り、花壇は第2弾のバラが咲いています。ちょっと行って切ってこようと思って出る時、「酷なこと」という言葉を頭に置いて、頂きます、という気持ちで思いを向けて作業していこうと思います。
高木の上で作業をする卓越した技術は下から見上げて感嘆するものですが、自分と同じ命ある一個のものに触れて作業をしている、という思いが伝わってくる作業も素晴らしいものでした。
愛情は伝わる。草木にも、触れる人にも。
命に触れる者が決して忘れてはならないことを教えていただきました。
そして、もう一つ。力を持っている者が、決して忘れてはならない気持ちも。無知は罪であることも。
清水園/ひろ