先日お誘いをいただいて、自然科学館のプラネタリウムに久しぶりに行ってきました。子どもたちが小学生の頃以来ですから、本当に久しぶりです。大人でも十分楽しめる所だったのだと、改めて感じられる、とっても楽しく素敵な時間を過ごしてきました。 「ハナビリウム」という9月16日まで投映される番組は、400年以上にわたる花火の歴史を伝えるものです。見どころは、花火師以外は決して入ることのできない、花火の真下からの360度実写映像で、頭上から花火が降りかかって来る、そんな体験を味わえます。 私は、「ハナビリウム」については全く知らなかったのですが、人気があるようで、来場時間前に多くの人が並んでいました。
場内は自由席なので、並んでいる人数を見て、良い所が取れなかったらどうしよう、と焦ったのですが、席に座って天井を眺めると、それは杞憂でした。コンサート会場などとは違って、どの席からも星空を満喫できるようになっていました。というより、星空というもの自体が、そういうものでした。
満天に輝く星を見ながら、みんな平等っていいなぁ、美しいものって、みんなに平等にあるんだなぁ、としみじみ思いました。夕暮れに稜線や日本海に沈む夕日も、朝焼けに染まり行く空も、みんなに平等に与えられる美しさって、本当に良いなぁと思いました。
北方文化博物館を創設した七代伊藤文吉がアメリカ留学時代に学んだことは、「美しきものは自らの私財で求め、心の糧として鑑賞し、いずれ時期を見て社会に還元し、一般に公開すべきものである。」ということでした。そして、「価値ある美術品は、個人だけの愛蔵品であってはならない。」これが理想でした。
もともと豊かになるって、そういうことなのかもしれません。自分という枠組みを取り払うことによって、他の大いなるものがなだれこんでくる。自分を無にすることによって、他と我の境目はなくなり、我はどんどん拡がり続け、無尽蔵となっていく。
プラネタリウムでは、もう一つ、土星の輪が、一億年後に消失するというNASAの研究成果についても初めて知りました。天体望遠鏡で初めて土星の輪を見た時の喜びは、今でも失せることはありません。小さな、小さな、でも、はっきり、それが土星だとわかる、あの輪。それが見られなくなる時代が来るなんて。今見えるものの価値を思い知らされた瞬間でした。それは永遠ではない。
軒先に咲いている美しい朝顔が、その輝きを一日で命を終えるように、星にも命があり、姿を変えていく。この宇宙にぽっかり浮いている地球だって同じ。みんなが、宇宙空間に出たら生きていけない運命共同体なのに、それなのに、爆弾を落としたり、環境を汚染したり、中から破壊を続けている。土星の輪のように、やがては失われてしまうものがあるとしても、そうなる前に人類が消失を引き起こすようなことをしでかす気がして、恐ろしくなります。もはや手遅れとなっているのではないかと。この美しい星を後世に伝えることができなくなるのではないかと。
美しい星空を見て、感動していたのに、急に不安に襲われるなんて、それはやはり、世の中が安定していないからだと、嘆かわしく思った時、五味太郎さんのこんな言葉が飛び込んできました。
「生きているうちは、不安定なのが面白い。明日が完璧だって分かっているなら、俺は起きなくなる。」
ああ、困難な状況にあっても、知恵を絞って絞って寄せ合って、抗って生きてきた人がいたから、人類は少しずつ進歩をしてきたのだ。そう思えて、少し元気を与えられた気がしました。
今生きているこの毎日も、文化遺産としての清水園の美しさも、永遠ではない。守り抜く努力を続けなければ。人と知恵を出し合って、地球とつながって、生きていきたいです。
清水園/ひろ
by hoppo_bunka
| 2022-08-25 17:10
| 清水園
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