「今日は何日、何曜日?」
この頃、義母は1分も経たないうちに、この言葉を繰り返すようになりました。まるで口癖のように。
初めの頃は、私も、「今、言ったばかりでしょ。」とか、日付と曜日を義母用に書いたボードを見せたりとかして、何度も繰り返されるうちに、イライラしたり、「何曜日!」と大きな声で叫んだりしていました。そして、そのたびに、後でそんな自分がとっても嫌になり後悔しました。
最近になってようやく、言われたらそのまま返事を普通に返すことができるようになりました。余計な嫌味や感情を付け加えることなく。
忘れてしまう、という状態を、ようやく私自身が受け入れられるようになりました。何度聞かれても、それを初めて聞いたように、ようやく返すことができるようになりました。不毛なことをし続けていた自分をようやく変えることができました。
義母はよく物をなくします。置いたり片付けたりした場所を忘れてしまうからです。最近では過去のことや、これからのことが、今現在と混在してしまうこともあります。お医者さんに行っていないのに、行ってきたと言い張ったり、外食して帰ってきた後で、そのことをすっかり忘れてしまって、どこも出かけていないと言ったり。こうして、どんどん忘れていってしまうのだなぁと切なく思っていました。
そんな義母が1週間忘れなかったことがありました。海老蔵の市川団十郎白猿襲名披露巡業公演です。義母は佐渡生まれのこともあって、歌舞伎や能、文楽などには幼い頃から親しみがありました。ましてや、妻をなくしたあとも二人の子どもを頑張って育てていると同情していた海老蔵です。自分でチケットを取るなどということは、決してしないしできない人ですから、「チケットが取れたから、一緒に見に行こうね。」と誘った時は、びっくりして、あの海老蔵?と、ずっとそのチラシに見入っていました。
それからというもの、ふと見ると、そのチラシを出してじっと見ている姿をたびたび見かけるようになりました。それに気づいてからというもの、公演の日が近づいてくると、私はどきどきして、しだいに祈るような気持ちで1日1日を過ごしました。
どうか、明日が無事にやってきますように。義母が具合が悪くなりませんように。歌舞伎の役者の方がたが、どうか無事公演に来てくださいますように。どうか義母が楽しみにしているこの公演を見ることができますように。そんなことを毎日祈っていました。
前日。いよいよ明日だ。と思いました。そして、当日。ついに義母と一緒に無事公演を見ることができました。
帰って来た時、家族に「どうだった?楽しんでこれた?」と聞かれた義母は、普段なら、「どこか行ったかい?」と忘れてしまっているのに、その時は、「とっても良かった。いい死に土産ができた。本当に良かった。」と嬉しそうに言って、ずっとまたチラシを眺めていました。無事見ることができた安堵も加わり、私もとっても嬉しかった待ちに待った日が終わりました。
戦争が止まない地域で過ごしている子どもたちが、朝起きるとにこにこしているので、「どうして笑っているの?」と尋ねると、「あのね、明日は来ないかもしれない。だから、どうか明日も生きられますように、とお祈りをして眠るの。そしてお祈りをして願った明日が来ているから、とっても嬉しくて幸せなの。」と言ったという話を読んだ時のことを思い出しました。
私が来て欲しいと願い望んだ明日と、子どもたちが願い望んだ明日。
それを毎日目が覚めた時、自分はちゃんと手にしている。明日のことは、来るまで誰にも保証はされていないけれど、今手にした今日は、それを手にすることができない人もいる、プレゼント(present=現在)なのだ。
義母と公演に行く日の朝、目覚めた時に感じた今日を迎えた喜びのように、純粋に今日という日を抱きしめるような気持ちで生きていきたいと思いました。
海老蔵を見に行ったことを義母はまもなく忘れてしまうかもしれません。あんなに嬉しさを口に出していても。
お庭を見に行きました。広いゆったりとした空間が静かに流れています。夕佳亭の側の桜は五分咲きです。見上げれば、春の空。
清水園/ひろ