梅雨明けの燦々とした陽射しが大門に降り注ぎ、眩いばかりです。
美しく整ったものは、見る人の心も明るくする。年月を重ねて古びた味を出すのも良いけれど、このように整った、正統派の美しさも良いものだと心が自然にときめきます。葺き替えの終わった門は堂々とお客様をお迎えしているように見えました。
昨日、長岡市栃尾美術館に、「中原 淳一展」を見に行きました。描かれている女性が一人一人とっても美しくて、自分はもう、とっくに、これらの女性の年を超え、老いてしまっているのに、素敵だなぁと憧れて1枚1枚の絵を見てきました。
中原さんは、美しく装うことの大切さをずっと提唱し続けた方で、「美しいとは細やかな気遣いである。」とおっしゃっています。朝、出かける時にピカピカに靴を磨いていくか、くたくたのままでいくか。お料理をお皿に盛りつける時に、お皿の色合いを考えて棚から出してくるか、考えずに載せているか。ボタンが外れかけていても、そのまま着ていくか、、、、、
毎日の本当に小さな一つ一つに心を込めることができたら、輝かしい若さは失っても、幸せを感じたり、与えたりすることは増やしていけるかもしれない。会場に掲げられている、彼からのメッセージを読んでいるうちに、やってみようと思う事が沢山出てきました。
そして今日、大門を見て、それから掃き清めた後の苔を見て、思いました。ないがしろにしている沢山のことを、少しずつ変えていけば、このように眩い人生が生まれるかもしれない。
やってみるから、見ていてね。今日はどうだと問いかけてね。と、大門に監視を頼みました。
清水園/ひろ