雪の季節を迎えました。ひっそりとした園内は人の想いを深めます。
今月、人生に大きな影響を与えられた方がお亡くなりになりました。産前産後休暇、育児休業法、男女同一労働同一賃金など、今、私たちが受けている恩恵の基礎となる物事を、先頭に立って行動を起こし、闘い、勝ち取ってくださった方です。また、平和を守る大切さを教えてくださった方でした。
私は、この方にお会いしたことで、より良い毎日を創っていくために、声をあげ、団結して行動をすることの大切さを学びました。今、当たり前のように享受している物事には、年月をかけて諦めずに取り組んでくださった、多くの方々の努力が源にあります。それを忘れてはならないと思います。思いを引き継ぎ行動を続けていくこと。動くことが叶わなかったら、協力の手段を考えること。
生きる方向を示してくださった方が切り拓いてくださった道を、次の世代のために、私も延ばしていきたいです。
あと何年、自分はどんなことができるかと思った時に、家族との時間を大切にしたいと思いました。今まで大きく占めていた職場での時間を、徐々にスライドさせていき、家族に、家での生活に目をもっと向けて使っていこうと思い直しました。
折しも姉妹で母と旅行する計画があり、とっても楽しみにその日を待っていました。
明日は温泉に宿泊するという日の真夜中、母は急に具合が悪くなり、救急車で搬送されました。原因がわかり、処置をしていただき、多分もう大丈夫、念のために入院するけれど、明日の午後には退院できるのではないかとみんなで楽観していました。ですが、翌日の午後、緊急手術で1週間から10日の入院となりました。
今は感染症予防のため、面会は直接できず、具合が良くなったとしても、タブレットでの面会です。術後の医師からの説明を受けた妹が直に見て撮ってくれた、酸素マスクを付けて眠っている写真が唯一知る母の情報です。たとえ目を覚まさなくても、側にいるよと手を握ることもできない。それが辛いです。でも、感染症は術後は命取りになるので、ひたすら回復を祈るばかりです。
医師である姉の「大丈夫、すべて想定内に起こっていることだから。」という言葉を頼りに、入院している間は、できることは何もないので、いきなりさまざまな手続きや準備に追われた同居していた妹のサポートをしなければと思いました。3人姉が出て行ってしまった後の広い家に、母までいなくなってしまっては、寂しいだろうと思い、そのことも併せて、できるだけ実家に通おうと今しています。
母の年齢を考えれば、もう、当然のようなことなのでしょうが、わかっていても母が死んでしまうなどということは考えたくありませんでした。
これからのことを姉妹で話をしていた時に、すぐ下の方の妹が、はっとしたように言いました。
「私、今、これからのことを考えて話をしている。私、ようやく未来のことを考えられるようになったんだ。」
乳がんの手術をした妹は、それまで、今のことしか考えていなかったそうです。自分は、もしかしたら明日は死ぬかもしれない。今日を生き抜くことで精一杯だったんだと。彼女は時間があると、一人で全国どこでも、旅行に出かけていました。美術館に絵を見に行ったり、温泉に入りに行ったり。
「どうして、そんなに、思ったらすぐ一人で出かけることができるの。」と尋ねた時、「だって、いつ死ぬかわからないから、死ぬ前にしたいことをしたいって思っているんだ。」と答えるのを聞いて、この子は、ずっと癌と闘い続けていたんだと、本人が味わっている苦しさを垣間見た気がしました。よく頑張って、未来のことを考えることができるようになるまできたのだと、労わってあげたくなりました。
本当の死が見えないと、本当の生も生きられない。
多くの木々から、雪解けの雨だれが降り落ちてきています。
死をもって、完結するのが生なのだから、受け入れるしかないんだよなぁと、空を見上げます。
ただいま、着信ゼロ。メメント・モリ 死を想え。 それでも、ほっとしている自分がいます。
清水園/ひろ