新春を寿ぐ言葉も、差し控えなければならないような、新年の幕開けとなりました。
被災され、今なお苦しんでいらっしゃる方々が、一刻も早く安心される状況に変わりますことを、心よりお祈りします。
また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
今日の園内は、1月には珍しい、明るい陽射しが降り注ぎ、ゆったりと静かな時間が流れています。年末直したばかりの入口の橋も、明るく日の光を集めてお客様をお迎えしています。いらっしゃる方々のお気持ちに、少しでも寄り添えることができる園であったらと、願っています。
2日の朝、朝ご飯を作ろうと台所に立ちました。1日はみんなが怖い思いをしたので、早く日常に戻りたい、と感じました。
お味噌汁のネギを刻もうとしたら、タ、タ、タ、タ、タ、と、包丁の切れ味が良く、気持ち良く刻むことができました。見上げたら、お鍋はピカピカに磨かれて輝いています。大晦日に、夫が台所やお風呂場、洗面所、トイレなど、普段気にしていても目をつぶっていたような所々の汚れや不具合を、掃除したり直したりしてくれていたのですが、昨日は仕事に出ていたことや地震もあり、気がつきませんでした。
嬉しかったです。これが我が家の幸せなんだと思いました。台所は家族の命を育む場所です。私がしてもらったように、私も思いを込めてみんなの力になる料理を作ろうと思いました。トントントン、と動いていた包丁が、タ、タ、タ、タ、タ、に変わる。ほんの些細な事ですが。そして手にしたお鍋が輝いていた、それだけのことかもしれませんが、何があっても、できることから一つずつ、前へ。そう決意した新年でした。
草野 信子さんの『カレーライス』という詩が思い浮かびました。
カレーライス 草野 信子
カレーライスを ひとにめがけて ぶっつけたことがある。
一瞬泣きそうな顔をみせて そのひとは皿を拾い ごはん粒を拾い ごはん粒を拾い 胸のカレーを拭いた。
こするほどに黄色い染みがひろがって 食べ汚した幼な子のようだった。
それから ゆっくりと トレーナーを脱ぎ トレーナーを脱ぎ 裏返して それをまたすっぽりと着たのだった。
記憶が匂いを放つので カレーライスの日は あの夜私を送る電車の中で「匂うね」と笑ったひとを思い出す。
ひょいとトレーナーを裏返せば 何もなかったのも同じ。
くらしとは そのように 許すことなのだと私にもわかった。
いくつもの いくつもの 夕暮れの中で。
この詩を最初に読んだ頃には気がつかなかったことがありました。彼は汚れたトレーナーを別のものに替えるのではなく、汚れをそのまま受け入れて着続けたのでした。
人生には、避けられないような、哀しみや出来事が降りかかってくることがありますが、それを全て受け入れて尚、新しい面を自らが出して生きていく、そんな生き方ができるのだ、と思いました。
年末に退院した母は、未だに体調が優れず横たわっています。苦しい状態が続いている母ですが、それでも、私は、側にいて、母に触れることができるだけで、十分幸せを与えてもらっています。今日生きることを諦めないでほしいと願っています。
あなたが生きていてくれるだけで、幸せを感じる人がいる。あなたは他の誰かを確かに守っている。生かしている。
今朝、被災地から一人、救出されたというニュースが飛び込んできました。人は光をも作ることができます。また一歩前へ。
清水園/ひろ