2024年 06月 16日
思いを巡らせてご覧ください
清水園は国の名勝、足軽長屋は重要文化財です。どちらも江戸時代の遺構として価値あるものですが、私自身は足軽長屋を見ても、清水園ほどには心打たれることはありませんでした。 茅葺屋根寄棟造の八軒長屋で現存するのは、全国でも新発田だけであるという、大変貴重な遺構でありながら、心に迫ってくるものが無かったのが自分では残念で、お客様にお薦めしたいと思いながら、自分自身が長屋の持つ価値を探っている状態でした。 お客様のコメントも、清水園はお褒め頂く言葉が多く見られるのですが、長屋はあまりありません。ご覧になる方も、長屋はさっと見られ、終わってしまいます。私もそうでした。
見方が大きく変わったのは、長屋の修理工事報告書を読んでからです。この報告書を読んで、修理前の長屋の様子を思い浮かべることができました。 昭和44年に重要文化財の指定を受ける直前まで、この長屋には住民が住み続けていました。その時の長屋は、これ以上放置すれば倒壊も免れないほどの破損が酷い状態だったそうです。屋根は雨漏りで傾き、壁は崩れ、腐朽は極限に達していましたが、修理をしつつ人々は1842年からずっとここに住み続けていたわけです。
今、ご覧いただいている長屋は、昭和47年に修復を完成した綺麗な長屋ですので、当初の暮らしを想像するのは、難しいかもしれません。
江戸時代の人々の生活をさまざまな本で調べているうちに、江戸末期の国学者で歌人でもあった橘曙覧の暮らしぶりを知りました。彼のあばら家は、壁は落ちかかり、障子は破れ、畳は切れ、虱が這っていたといいます。 そんな彼が暮らしを詠んだ独楽吟には、次のような歌があります。 たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふとき たのしみは三人の児どもすくすくと大きくなれる姿みるとき たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見るとき
最後の歌は、上皇陛下御夫妻が1994年にアメリカ訪問をされた際に、クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で引用されスピーチを行われました。アメリカの方が、この歌の感性を日本人らしさと捉えて用いてくださったことがとても嬉しいです。 物や環境が整わなくても、人は幸せを日々の暮らしから感じ取ることができるのだと、彼の歌から教えられました。
そんな思いで長屋を見ると、今までは見えて来なかった、そこに暮らしていた方々の様々な姿が見えてきました。橘曙覧のように、きっと長屋に住んでいた方々も、川面に浮かぶ蛍の美しさを夕涼みしながら見つめ、釣った魚のおいしさや成長していく子どもの姿に、ささやかでも心を支える喜びを見つけていたに違いないと思いました。
今の自分はどうだろう。心の底から、おいしい、幸せ、とご飯を味わって食べているだろうか。家族との時間を幸せと感じているだろうか。当たり前のこととして、幸せを受け流していないだろうか、と考えました。 長屋の暮らしを想像することは、自分の生き方を振り返ることにつながります。風の吹き込む寒い長屋では、お天道様が輝けば、それだけで十分幸せと感じ取ることができたでしょう。太陽ではなく、ありがたいお天道様として。
今の文明生活は、過去の幾多の方々の努力の積み重ねによって生まれ、私達はその恩恵の上に生きています。ならば次世代に対しても、より良い未来を残す責務が私たちにはあります。
江戸時代は循環型社会で、無駄な物は一切ない、そういう暮らしでした。ごみは出ず、資源は有限であると考え大切にしました。また、今よりずっと助け合いの強いコミュニティがありました。歴史には今の生活への、道標があり、それを伝える遺構の保存は貴重で、次世代への使命だと思います。
遺構を前にした時、心をいにしえに馳せてご覧になってみてください。新たな見方が生まれるかもしれません。私は、「たのしみは~」の後に、どんな時を自分ならあげるだろうか、と考えました。
足軽長屋は、幸せについて思いを巡らせる場所であると、今感じています。
清水園/ひろ
by hoppo_bunka
| 2024-06-16 17:22
| 清水園
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