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守るべきもの

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 長女が無事出産を終え、初孫と対面してきました。久しぶりに抱く新生児は、やわらかく、くたっとして、時折足を突っ張ってぐずつきます。本当に久しぶりの懐かしい、宝物に触れる感触を思い出しました。
 実家に帰ってくることはなく、東京で、夫婦二人で子育てをします。沐浴も、ミルクの作り方も、みんなYouTubeを参考にしてするという、今時の子育てです。彼女の夫は1か月の育児休暇を取るということでした。

 出産の際も、入院してから退院まで、夫以外は面会禁止ということで、私はただただ神仏に願をかけて、無事を祈ることしかできませんでした。自分は陣痛の時に、側にいて腰をさすり続けてくれた母の手の温かさを、未だに覚えているというのに。長男の時も、長女の時も、母や義母の世話になるばかりだったというのに。

 母離れ、子離れ共にできていないのは、私だけでした。離れていて目の前で成長していく様子を見ることはできない代わりに、毎日のように動画を送ってきてくれます。幸せな時代だと思います。
 離れていても、こんなに小さな命が、懸命に生きることを頑張っていると想像するだけで、力を与えられます。私も頑張って生きようと思わされます。

 そして、私も、あなたも、そういう存在だった。

 人は存在するだけで、周りに力を与えることができる尊厳ある存在なのだ。小さな小さな赤ちゃんが教えてくれました。

 この子たちが大人になる頃には、世界は今よりずっと平和で住みやすくなっているだろうか。
穏やかな清水園の中にいると、ゆったりと静かな時間が流れ、世界は平和であると錯覚してしまいそうになります。
 でも、それは世界中には当てはまらず、戦禍で身の危険にさらされ、飢えや病気で苦しむ毎日を送っている人も大勢います。ロシアとウクライナの戦争も、イスラエルとハマスの戦闘も、終わる気配はなかなか見えてきません。

 そんな中、「ガザ地区でポリオの感染が確認されたことを受け、予防接種のために、イスラエルとハマスが一時的な戦闘休止に合意した。」というニュースを聞きました。これを、微かな光と捉えるべきなのか、それとも戦争そのものを終結させることができない残念な結果と捉えるべきなのか。私は迷う時に、マザー・テレサの「死を待つ人々の家」を思い起こします。
 
 「死を待つ人々の家」では看取ることしかしません。薬や処置できる物も多くはなく、運ばれてくる人は、手の施しようがない状態の人がほとんどです。それでも処置ができることがあれば行い、声をかけます。そして、安らかに死んでいけるように見守ります。そして人々は、「ありがとう」と感謝しながら死んでいく。
 死を目前にした人が求めることは、人間としての尊厳をなによりも大切にしてもらうことだからです。

 人は、人間の尊厳のうちに生まれ、生き、かつ死んでいくことによって、幸せを得られるのだと思います。

 シベリア抑留による死者の詳細な名簿を作り上げた村山常雄さんは、「死者は固有の名を呼んで弔われるべき」という信念から、約4万6千人の名を鎮魂の名簿に収めました。ただの、「死者」ではなく、一個人、一人一人の生の尊厳を重んじた結果です。

 この清水園に湛えられている安らぎを、多くの人々が引き続き味わうことができるように、私たちは生きている限り、この世界をより良くしていくために尽力する義務がある、そのように感じてきました。目の前の世界が美しければ美しいほど、それを守り抜いてきてくださった、先人たちの努力に、思いを馳せたいと考えました。
 そして、私たちが作った世界を引き継ぎながら生きていくものがあることを。

清水園/ひろ

 




by hoppo_bunka | 2024-09-22 17:08 | 清水園 | Comments(0)

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