一日中蕭々と雨が降り続いています。
岬灯籠の上のカモも、じっと雨の中、池を見つめていました。
三好達治の『大阿蘇』を思い出しました。
大阿蘇 三好達治
雨の中に馬が立ってゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが雨の中に立ってゐる
雨は蕭々と降ってゐる
馬は草を食べてゐる
尻尾も背中も鬣もぐっしょりと濡れそぼって
彼らは草を食べてゐる
草を食べてゐる
(略)
カモにとっても厳しい冬が近づいています。
じっと雨に打たれている動物の姿を見ると、生き物は皆、為すすべの無い時を迎えたら、ただじっと、それを受け入れていくのだなぁと思います。抗うにも抗えない時、抗っても叶わない時。そうやって果てるまで、静かであったとしても、命の灯を燃やし続ける。
なぜ生きるのか。どう生きるのか。など考えず、生まれてきたら、ただ生ききるだけ。動物に教えられます。
12月にささやかな手術をするためお休みをいただきます。手術をするかどうしようか迷っていましたが、受診して担当の医師がイケメンだったため、迷いは一気に吹き飛んですることを決めました。
その時は、さばさばした気持ちでいたのに、埋め込む金属装置を見て、入院の日が近づくにつれ、だんだん怖くなってきました。
コンタクトレンズだって、最初に眼に入れる時は、本当に怖かった。でも今じゃ平気じゃない。大丈夫、金属を入れても、きっと体が受け入れてくれる。そう思い込むようにしていますが、メスを入れずに済むものなら、と、しり込みしがちです。「多少の痛み」の「多」があったらどうしようとか、同意書は全て同意したくないことばかりだったりとか。日に日に怖さが増してきました。
でも今日の池のカモたちの姿を見たら、受け入れよう、と思いました。
自然の姿は、自然の一部である人間にとっては道標です。燃えるように輝いていた紅葉の葉がひらりと雨水の溜まる地面に落ちて行きました。お客様が2,3枚の紅葉の葉を拾い集めて出て行かれました。私の人生にも、果てる時まで、まだできることはありそうです。
『大阿蘇』は最後はこのように終わっています。
もしも百年が この一瞬の間にたったとしても
何の不思議もないだろう
雨が降ってゐる 雨が降ってゐる
雨は蕭々と降ってゐる
大きな時の流れの中では、一瞬にしか過ぎない私の小さな生だけど、生きること、そのものに夢中になろう、今を謳歌しよう、と思いました。
少し早いですが、どうぞ皆さま良いお年をお迎えください。明日から12月。清水園も厳しい冬の景色に移って参ります。暖房もなく、底冷えのする園内ですが、歩いて行かれるうちに、お体の中から、沸々と生きるエネルギーが湧き起って来られるのを、きっと感じ取られることと思います。本当の自分の力を目覚めさせてくれる、そんなお庭で、また皆さまにお目にかかるのを楽しみにしております。
清水園/ひろ