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移り行くもの・背負うもの

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 各地でお雛様巡りの催しが行われています。私も昨年から湊にいがた雛人形・町めぐりを始めました。
今年は、潟東樋口記念美術館・潟東歴史民俗資料館と旧小澤家住宅、珈琲 涼蔵の3ヶ所を回りました。どこも、時代色、地域色豊かなお雛様が展示されてあり、見ごたえがありました。今日までよく残っていてくれたね、と労いたくなるようなお雛様ばかりで、関わってこられた多くの方々のご苦労に感謝したくなりました。

 その他に、今年は孫に贈るために、人形店をいくつか回りました。雛人形に関するニュースなども気を付けて情報を集め、今時のお雛様は顔が違うとか(目はぱっちり。つけまつげやカラーの髪、赤い唇の男雛もありました。)設えも洋間に合うように変えてあるとか、作り手が時代の好みに合わせて工夫を凝らして後世に残していこうとしていることも解りました。

 お雛様は、初めは娘の物をそのまま送ろうと思いました。でも、子どものお雛様を孫に渡すには、一旦お寺で厄除けをしてから引き渡すのだということを教えていただき、それであれば、もっと手軽に飾れるお内裏様だけの物を新たに購入しようと思い探すことになりました。その時、地方で行われる流し雛のように、子どもの健やかな成長のために、お雛様はもともと身代わりになって厄災を引き受けてくれるものだったということを実感しました。子どもの頃、欲しくて欲しくてたまらなかったお雛様でしたが、美しい衣装を着て憧れる姿のはずなのに、どうして物寂しい感じを受けるのだろうと、不思議に思っていましたが、そういう理由からくるものだったのか、と納得しました。
 こんな高貴な恵まれているように見えるものでも、憂いというのは、定めとして身にまとわりつくものなのだと、人は体験を基に考えるのだと思いました。
 お雛様を探すのは、私は自分のお雛様を持っていないので、とても楽しかったです。洋装のお雛様や韓流のお雛様など、外国の方も買われるお雛様は、憂いの表情はなく、可愛らしい「Hina doll」がほとんどです。私が買ったお雛様も、伏し目がちではなく、可愛らしい表情のものでした。降りかかる厄災があるとしたら、孫の側にいるこんな可愛いお人形ではなく、自分が引き受けてあげたいと思うようなお雛様でした。

 2月に大学の同級会があり、その時同級会LINEを作ったのですが、毎日のようにいろんな人が懐かしい学生時代の写真をupしてきます。それを見るたびに、若くて楽しくてキラキラしていた時のことを思い出し、あの頃にタイムスリップします。病気も、介護も、子育ても、生きるための苦労も、何も無かった頃と比べて、今それぞれが背負っているもののなんと多い事か。
 生きていくのは、そうやって、自身の、そして他者のものを背負っていくことなんだなぁと、昔と今を比べてしみじみ思います。

 清水園のお雛様は、3月28日まで、本館は3月23日、新潟分館は3月30日までの展示となります。どんな方のどんな思いを背負っていらっしゃるのでしょう。そして、持っていらした方はどんな人生を過ごされたのでしょう。
 自分が代わりに背負えるのであれば、幸せ。どのお人形も、そんな風に思っていらっしゃるように私には思えます。それでなお、佇まいは物静かに美しく。なれないなぁ。私には永遠の、憧れのお雛様です。

 
清水園/ひろ

 

by hoppo_bunka | 2025-03-16 15:22 | 清水園 | Comments(0)

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