5月23日より、昨年の11月末より今年の1月まで福岡市美術館に貸し出していた、吉村観阿に関する作品が本館に展示されています。 
向かって右側には、福岡市美術館での吉村観阿の企画展監修者である宮武慶之先生の著書『知られざる目利き 白酔庵吉村観阿』と「観阿作茶碗銘 霜夜」、そして翠濤侯の描いた観阿の肖像画が展示されています。
また、左側には、勤王開国の先唱者で国旗「日の丸」の考案者としても知られている、新発田藩十代藩主、溝口翠濤(直諒)侯の描かれた自画像と、「寿字朱盃(行書)」が展示され、二人が一対のように展示されています。
西の不昧(出雲松江藩7代藩主、松平治郷侯)東の翠濤、と称された二人の大名茶人とそれぞれ深く関わりをもち、茶会に招かれ、数寄道具の取り次ぎで活躍した吉村観阿という人物について、実は私は今まで関心を持たなかったのですが、宮武先生のYouTubeの解説を伺っていたら、人物像に心惹かれ、同時に翠濤侯に対する見方も変わってきました。
二人の大名から幾度も招かれ、茶席の席主を務めたり、肖像画を描いてもらったりした観阿という人物には、どんな魅力があったのでしょうか。それを考えた時、私は、今、解説を伺った最中に私自身に起こった変化と同じようなことを、二人の大名も観阿と交流することにより、体験されたのではないかと推測しました。
宮武先生は、解説の中で、不昧侯が観阿に与えられた号から、それが観阿の生きざまを表しているのではないかと言われていました。「楽中の苦、苦中の楽」、「曲直」。家業が没落し、34歳で出家した観阿の身の上を知った上で、贈られた言葉だと解釈されていました。 この解説を伺った時、それまで見ても何も思わなかった、観阿創作の茶碗の「霜夜」という銘が、その凍れる夜の情景と佇む観阿の姿を呼び起こしてきました。目の前に陶器でしか見えなかった茶碗が、情景と、その中に生きる人物の状況を表しているように見えたのです。これは、自分ひとりでは、たどりつけない感覚、ものの見方でした。 宮武先生のお話を伺わなければ出会えなかった、ものに宿る作り手の生きざま。先生が私に出会わせてくださったように、観阿も道具に込められた作り手の生をそれぞれの大名の前に立ち上らせ、それを味わわせたのではないかと想像しました。
価値あるもの、守り伝えなければならないものへと見る人を導き、その人が一人では行きつけなかった新しい世界を拓いてくれる人、そういう人との出会いはかけがえのないものとして感じられ、共に過ごす時間を持ちたいと感じることでしょう。
名前には、命が宿る。そしてものには、作り手が宿る。言葉を発することができない物に代わって、その背景にある人や自然や歴史を代弁し、気付かせてくれた、観阿はそんな人ではなかったかと思いました。そして、翠濤侯も、それらの物の趣をこよなく愛した探究者であった。そんな風に思えてきました。
25日は市民茶会が清水園と蔵春閣で行われ、多くの方がお茶席を楽しんでいらっしゃいました。お茶席ではどんな銘のお道具が使われ、おもてなしが行われ、お席に入られた方は感じ取られたことでしょう。
この美しく豊かなひと時を、翠濤侯のいらした時代から、ずっとつないできて下さった多くの方々がいらして、今日いらっしゃった方々は、後世にこの趣を伝えていかれるのだと思いました。 吉村観阿については、ほんのわずかなことを知ったばかりで、もっと多くのことを知ってからでないとお伝えできないとも思いました。でも、お道具に人が立ち現れるなどという経験は初めてだったものですから、そのきっかけを作って下さった宮武先生についてもお伝えしたいと思いました。他にも、物の見方を教えてくださる方がたの本やお話を伺い、実際に見る機会を増やしていきたいと思います。清水園の資料館にある翠濤侯の書画も、新たに見直していきたいと思います。
清水園/ひろ
by hoppo_bunka
| 2025-05-26 19:33
| 清水園
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