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~ 清水園 ちいさい秋 ~

このところの雨で、庭園の苔もだいぶ元気になってきました。

ふかふかの苔のじゅうたんの中に…
まるで陶器のような艶やかさ!ちいさなキノコが出ていました。
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つくばいの水に映る景色は、澄んだ秋の空です。
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ちいさな秋を感じながら散策してみませんか?
皆様のご来園、お待ちしています☆


清水園/さっちゃん


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by hoppo_bunka | 2018-09-18 12:54 | 清水園 | Comments(0)

でんでん祭りご来場ありがとうございました

第10回横越でんでん祭り
(共催:よこごし旬物語)

9月9日、雨天にもかかわらず
大勢のお客様でにぎわいました。
ご来場、ご出演またご出店いただいた皆様、
誠にありがとうございました。

「横越」に伝わる神楽と食をテーマに、
この地域の奥深さと底力をあらためて体感する一日でした。

ほんの少しですが当日の様子をご紹介・・・
まだいらっしゃったことのない方は、
ぜひ来年!お待ちしております。

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by hoppo_bunka | 2018-09-12 14:52 | 本館のイベント | Comments(0)

9/9でんでん祭りは雨天決行

明日開催!でんでん祭りは雨天決行です!ご来場お待ちしております。
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■ 「第10回 横越でんでん祭り」
日時 2018年9月9日(日) 11:30〜
場所 北方文化博物館 西門広場特設ステージ
内容 横越6地区に伝わる個性豊かな神楽舞を順次披露(12:00〜)
神楽衆との写真撮影会もあります
地元特産品など「食文化」も楽しめる「よこごし旬物語」開催ほか
観覧料 無料(北方文化博物館の施設見学には入館料がかかります)
※当日は亀田駅東口、荻川駅前〜北方文化博物館を結ぶ無料送迎バスを運行
無料送迎バス時刻表
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■ 横越に伝わる六つの神楽の紹介
五穀豊穣祈願や厄災除けのために行われる神楽舞。今回は雄と雌が舞う横越東町の神楽、茄子や南瓜やヒエなどの食材で毎年獅子頭を手づくりする木津の神楽、神楽に噛んでもらうことで子どもたちの健康を願う小杉の神楽、豊作の喜びを全身で表現する横越上町の神楽、金銀黒の歯をもつ三匹の獅子が飛び跳ねる川根谷内の神楽、神楽と天狗の闘いを演じる横越新田の神楽という六つの保存会が登場します。


■ 上記に関するお問い合わせ
横越でんでん祭り実行委員会 (北方文化博物館内) 
担当:馬場 TEL:025-385-2001 


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by hoppo_bunka | 2018-09-08 12:59 | Comments(0)

本館ブログ おひさしぶり号 安田瓦について

このたび安田瓦協同組合様のご協力を得て「安田瓦と伊藤邸」と題し企画展を開催しました。伊藤邸内の建物はほとんどが瓦葺でそれらには安田瓦が用いられています。あらためて安田瓦とはどんな瓦なのかをご紹介できればと思い、歴史や特徴、素材や製造工程、また鬼瓦を作る鬼師たちについて、さらには現代における新しい取り組みなどを実物やパネルを通してご紹介いただきました。

一方、伊藤邸の古い瓦も何点か展示しました。しかしこれらは葺き替えなどの修繕作業時に屋根から降ろされた一部の瓦に過ぎません。明治期を中心に建築された建物のほとんどは今も当時の瓦を用いています。

今回のブログでは展覧会の内容を振り返りながら、今後の展望をまとめたいと思います。

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~そもそも瓦とは~

展示を振り返る前に、「そもそも瓦とは…?」という疑問に対してまとめてみます。

瓦は土でできています。粘土です。粘土を板状に固め乾燥させ→それを窯で焼き→屋根に並べ留めて建物を覆います。寺院建築とともに中国から伝えられましたがさらにその起源は諸説あり、発祥の地は中国ともインドともメソポタミアとも言われています。また世界には国や地域によって特徴的な瓦が見られます。身近な東南アジアでも、例えば、沖縄の屋根瓦は素焼き風の赤瓦を漆喰で塗り込めた葺き瓦で、主に台風の風雨などに対応する屋根となっていますし、厚手の平瓦を簡便に葺き重ねて屋根裏の風通しをよくしたベトナム北部の屋根など、瓦にはその土地の風土が表れます。

このように普段あまり気にしていなくとも瓦は建物を印象付ける重要な要素のひとつであることに気付きます。さらにその建物の集合体となる街という単位で見ると、瓦の持つ存在感はさらに強まります。家々が軒を連ねる街の発達には共同生活における防火の点で瓦の普及は欠かせないものであるし、そうして同じ材質や葺き方で作られた屋根の集まる街を見れば一目で「コミュニティ」を認識することができます。例えばこのような屋根の景観が知られた街としては石川県の金沢市などが上げられます。新潟と同様、積雪の多い金沢の瓦も防水機能を高めるために釉薬(うわぐすり)を塗ってから焼いた釉薬瓦であり、特に金沢の深い黒色の瓦は並び立つ家並みに落ち着いた古都の趣を与え、多くの人の心を惹きつけているようです。

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北方文化博物館(伊藤邸)屋根全景 そろった安田瓦の屋根が美しい。


 【安田瓦 ―歴史・特徴/素材・行程】

ここでようやく新潟の瓦「安田瓦」について書き始めます。安田瓦の「安田」は現在「保田(やすだ)」と書き、北方文化博物館より阿賀野川を隔てて南東へ15㎞程のところに位置する瓦産地です。天保年間(1830)より今日まで生産が続き、この地の良質な粘土を活かして作られる瓦は曲げ強度が強く(丈夫)吸水率が低い(凍みにくい)ため、耐雪・凍害・暴風や塩害など日本海側特有の気象条件に適した瓦です。明治6年に鉄色の発色に成功し、以来「安田の鉄色」と言われるにぶい光沢の銀鼠色を特徴としています。1200℃を超える焼成と還元による「安田色」は、新潟はもとより東北や北海道へも職人とともに渡った名瓦「安田瓦」のアイデンティティーとも言えます。

安田瓦の起源は天保年間(1830-1843)にあるとされ、越前(福井県)から安田※にやって来た渡り職人と思われる敦賀の千野半造という人物が瓦に適した土質と判断し、地元の碇屋長左ヱ門という人物が製造法を教え受け、庵地に工場を建てたこととされています。この碇屋長左ヱ門の瓦工場に弟子入りし、製造技術を習得した漆山文吉という人物の手記によって伝えられている内容です。 ※正確には安田に隣接する笹岡村の田中窯に来たと思われる。笹岡では安田よりわずかに先行して瓦製造がはじめられ、安田では笹岡から職人を雇用することもあった。しかし土質は安田の方が良質だったため、産地として栄えることとなる。

これ以来、瓦製造を習得したい者に伝え広めて工場を開かせ、明治5年ごろには工場が数戸に達します。大正9年には動力線が引かれ電動土錬機などが備えられますが、長らく(第二次世界大戦前ごろまで)小規模の家内工業で、粘土を練る、木型で成形する、窯で焼く、等の作業は全て人力で行われていました。


参考1;瓦作りの手順

<土打衆~瓦職人の仕事>

土堀り(瓦の乾燥ができない冬場、一年分の粘土を採集。)

土山作り(橇で運んだ粘土を作業場近くに山にする。乾かないように間に雪を挟む。)

箱先と箱詰(土山から一回分瓦240枚分の粘土を箱に崩し入れ、適当な堅さに寝かす。)

荒けずり(箱詰された粘土を鍬で薄く削り、根や小石を除去する。)

マルメ(薄く削った粘土を全身の力を込めて足で踏み固めながら円筒形に積む。)

ヒロメ(円筒形の粘土を再び削り、厚さ一尺ほどに踏み広げる。)

塊(クレ)起し(ヒロメた粘土を裏返し、また踏み伸ばす。)

タタラ盛り(良く練ったクレを羊かん型にし、荒地(瓦の原型)幅の方形に積む。出来上がった大きな羊かん型がタタラ。)

タタラ引き(タタラを荒地の寸法に切る。二人で水平に引き切り、次に垂直に切る。)

※①~⑧は土打衆(ツチウチサ)が、⑨は土打衆と瓦職人が共同で行った。土打衆は一番重労働で大事にされ、窯元では親方よりも先に風呂に入ることが許されているほどだった。現在この土打衆の仕事は土錬機によって行われている。

荒地取り(タタラ引きで出来た荒地を波型の木型においてなで板で成形する。)

乾燥(荒地干しという。庇で一晩、翌日戸外へ出して昼に天地替えをし、20%くらいの生乾きにする。)

瓦切り(生乾きの荒地を木型にのせ、タタキで成形すると同時に粘土を締める。型からはみ出た部分を切り落とし、連結用の切込みを切り、固定するツナギ穴を開ける。)

アゼモノ干し(こうしてできたものをアゼモノといい、まだ生乾きのアゼモノを45日かけて完全に乾燥させる。焼きあがるまでに1213%収縮する。)

※荒地、アゼモノの干し方には天候などに合わせ様々な干し方がある。ひび割れや倒れて割れないよう、並べ方の工夫や細心の注意を必要とした。


参考2;窯の変遷

<坊主窯→登窯→平窯(平地窯)→シャトル窯→トンネル窯>

 こうしてできた瓦は焼成、窯出し、選別を経て出荷となりました。焼成作業の安全・効率化は窯の変遷と大きく関わります。

 1、坊主窯(明治以前)屋根がなく野焼きのようなもの。

 2、登窯(明治~昭和20年代ごろ)土地の傾斜を利用した窯。勾配になっているので出し入れが重労働になり、立って窯に入ることができないため作業に時間がかかる。

 3、平窯(昭和2535年ごろ)立って窯に入れる。横穴でつながった煙道を通って煙突から排煙する。

 4、シャトル窯(昭和3550年ごろ)台車に積んで窯入れするため、人が入らなくて済む。燃料に重油を使用。

 5、トンネル窯(昭和50~)コンピューター制御。燃料に灯油を使用。

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明治になってからの安田瓦は、各地師団の増設に伴う兵舎の増改築に伴う需要拡大で遠くは弘前、旭川や地元新潟は新発田の兵営の屋根に採用されます。また弥彦神社の勅使館絵馬殿をはじめとする寺社・仏閣、旧県会議事堂、旧税関などの公的機関、当北方文化博物館(豪農の館伊藤邸)など有力者の邸宅などに需要があり、大正5年に瓦製造戸数は22戸、産出数量13,000坪にのぼります。

機械化は大正9年の動力化にともなう電動土錬機や粉砕機の導入にはじまりますが、特に第二次世界大戦後に活発に進められます。なお昭和9年に設立総会が行われた安田瓦工業協同組合による生産体制の協業化によって、生産工程の省力化、ニーズにあわせた高品質化が行われています。現在は合併、協業化により瓦窯元は2社となっています。

近年では、一般住宅の新築屋根から県内~東北各地に残る文化財建造物の修繕等へと需要が広がっています。


【安田瓦―伊藤邸の安田瓦】

こんなにたくさん」

伊藤邸の安田瓦。その見どころは何といっても並んだ屋根瓦の数。敷地内の主な建物の建築年と概算した瓦の枚数は以下の通り。この規模ですから工期中の邸内には屋根葺き職人も一人や二人の話ではないでしょう。さぞかし活気があふれていたことと想像します。

 

〇旧作事場(現売店)明治161883)頃 約7,000

 〇土蔵門(受付側)明治33(1900)門土蔵 明治201887)頃 約8,000

 〇主屋棟 明治18(1885)頃 約40,000

 〇大広間棟 明治201887)約20,000

 〇飯米蔵(現集古館)大正8(1919)約5,000

この他にも邸内の人々の生活を支える井戸小屋やみそ蔵、増築された湯殿や新座敷、そして昭和30年代に整備された庭園内の茶室など、全ての瓦葺屋根の瓦枚数を概算すること150,000枚にのぼります。

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主屋二階から望む、大広間棟への廊下屋根


「オーダーメード(特注品)」

 さらに伊藤邸の瓦を見ていくと伊藤邸のためだけに作られたと思われる瓦の数々が登場してきます。館内ガイドでもご紹介している軒瓦や、主屋や大広間の鬼瓦に目を凝らせば「丸に四方木瓜」の家紋が付けられているのがわかります。コストを優先すれば、よそのお客様からの注文にも応じやすいよう、本体と家紋部分を別々に作ってあとから組む方法もありますが、これらは焼く前から家紋付きで成形されており全て伊藤家用だったことがわかります。また一階と二階の間などに見られる飾り瓦(瓦の並びを漆喰で固めて作る)も様々な種類が見られ、規模だけでなく瓦の種類や葺き方まで、いわゆる「オーダーメード(特注品)」だったことが伺えます。それだけの注文ができる財力を伊藤家は持っていました。

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「今も昔も」

 伊藤邸の瓦は今も変わらず明治の建設当時から出入りしている屋根屋の職人がメンテナンスを行っています。四代続くこの屋根屋さんの初代が伊藤邸の土蔵門・門土蔵の屋根を葺いた川瀬伝治さん。当時は施工(屋根葺き)のみを行っていましたが、二代目の頃は瓦製造も行っていました。今は三代目、四代目が中心となり腕をふるっています。特に三代目川瀬芳晴さんは安田瓦の伝統的な葺き方を身に着けている職人の一人で、「にいがたの名工」としても認定されています。伊藤邸の瓦は機械化される前の瓦です。手作りのゆがみやねじれを合間にべと(土)を敷くことで調整しながら平らになるように置き、瓦棧(かわらざん)に留めるときに使う銅線は工具でなく手で切りながら効率よく留めていきます。

 また故八代伊藤文吉館長からは修繕の際なるべく古い瓦を使うようにという依頼が出され、従って現在の伊藤邸の屋根では当時の瓦と当時の葺き方が続けられており、瓦葺きの技術の伝承にもつながっています。

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【安田瓦 ―鬼瓦】

鬼瓦には厄除け、悪魔祓いなどの意味が込められ、その屋根の下に暮らす人々を守る役瓦です。歴史的には前述したように瓦とともに中国から伝来しました。鬼瓦を手掛ける瓦職人を「鬼師」と呼び、現在安田瓦の鬼師として鬼瓦を製造する工場は3軒あり、それぞれの工場で先代から当代へ技術が受け継がれています。主に量産用のプレス機や様々な家紋の石膏型を使っての成形と、焼成前の乾燥までを行います。また造形的な技術を活かし、鬼瓦から発展した装飾品などを手掛ける鬼師もいます。安田瓦の屋根に魂を吹き込むべく、力強くまた造形的に美しい鬼瓦を作るためには技術はもちろんのこと優れた感性が求められます。

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【安田瓦 ―新しい取り組みの紹介】

安田瓦をもっと知ってもらいたいという願いから、工場が集まる庵地地区を「やすだ瓦ロード」として整備。工場や煉瓦煙突を眺めながら、瓦を使ったオブジェが立ち並ぶ休憩所や歴史的な鬼瓦や歴史解説板を展示した公園などを散策できる一角です。成形・乾燥と焼成、さらには施工(屋根葺き)が分業されている安田瓦は、このエリア一帯でひとつの産地。連綿と続く操業の息吹を感じることのできる散策路です。この瓦ロードを舞台に年1回行われる「やすだ瓦ロードフェスティバル」は2018年に6回目を迎え、前夜祭としての陶器灯篭によるライトアップ、当日の工場見学や屋根葺き体験、瓦焼き(瓦の上で調理する)なる料理も披露されるなど、職人たち自らのおもてなしの心あふれる催しに、会場は年々盛り上がりを見せています。 

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 安田瓦と伊藤邸の関わりが少しはお伝えできたでしょうか。

伊藤邸それだけがただのこっていくことは意味を成しません。安田の瓦職人たちをはじめ、維持管理に関わる各方面の職人や産地とともに、その歴史や技術を含めて今と未来へ伝えていくことを目指していきたいと思います。


参考文献:安田町史、日本の家(中川武)角川文庫


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by hoppo_bunka | 2018-09-07 20:06 | 本館の展示案内 | Comments(0)