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ピンチはチャンス

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 昨日、ラポルテ五泉に笛田博昭さんのテノールコンサートを聴きに行ってきました。それまで、声楽のコンサートといえば、わざわざお金を出して行くというほどは興味がなく、叔母の島田祐子のコンサートしか行ったことがありませんでした。会場のラポルテ五泉も今回初めて行きました。

 笛田博昭さんは、新潟県出身の声楽家であることは知っていましたが、コンサートに行こうと思ったことはありませんでした。ミスチルやバンプだったら、絶対行きたいと思うけれど、クラシックのコンサートは、そう思えなかったからです。それなのに何故、今回聴きに行こうと思ったのか。それは、「カルチャーにいがた」の彼のインタビュー記事を読んだからです。

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 清水園の書院や本館のギャラリーには、美術、音楽、講演、イベントなど、様々な催しのポスターやパンフレットがあります。「カルチャーにいがた」もその中にありました。インタビュー記事の中で、笛田さんは、「初めてレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」を観た時の感動は忘れられないです。」とおっしゃっていました。私も観たことはありますが、忘れられないほどの感動は覚えなかった。自分が感じ取れないものを感じ取られる方なら、その方が表現し求めていらっしゃるものも、きっと優れているに違いないと思いました。
 主催の五泉市生涯学習課にチケットを問い合わせると、まだ残数があるということでした。偶然何も用が入っていない休日で、3,000円と値段も高くなかったので、聴きに行くことにしました。

 美しく声量のある歌声は素晴らしかったです。でも、ご本人は、何か抑えこらえていらっしゃるようでした。そしてすぐに、1ヶ月前にコロナウィルスに感染し、回復には向かっているが、どうも胸の辺りのゴロゴロした音が出てきてよくない、申し訳ないとおっしゃいました。1部は予定通り全曲歌われましたが、休憩後の2部はプログラムを変更し、アンコールに歌うつもりだった曲を3曲と、プログラム掲載の1曲を歌い上げた後、申し訳ないと何度も頭を下げられて、必ずリベンジさせて下さいとおっしゃって終了とされました。

 「本当にごめんなさい。皆さんお一人お一人に謝ります。」とおっしゃった言葉通りに、会場の出口に立ち、お客さん一人一人に声をかけ、握手をして詫びていられました。それを受けたお客さんは、「むしろ嬉しい、ありがとう。」「身体を大事にしてね。」「回復を祈っています。」と怒るどころか感激している方ばかりでした。
 出口で400名近い人に直接声を掛けられた時はステージの彼と同じ様に堂々と感じました。でもそれが終わり、今度はCDにサインをするために椅子に腰かけられた時には、苦しさを堪えているように疲れがどっと襲っているように見えました。体調が思わしくない中、何とかステージを務めあげたい、と頑張っていらしたのだと感じました。
 
 声楽家は、身体が楽器です。それを鍛え上げて他の人を感動させるものを生み出していきます。インタビュー記事の中で、彼は歌う時、いつも神様に届くようにと思って歌っていると言っていました。そして芸術は心の栄養であると。
 今回のコンサートは演目を変更し短く切り上げるというアクシデントがありましたが、彼の誠意ある対応は、むしろファンを増やしたと思います。私もベストコンディションなら、更に素晴らしい歌声なんだろうと、初めてクラシックのCDを買いました。

 ピンチに陥った時、人は何とかして切り抜けようと全力で取り組みます。そこに本当のその人が現れます。それは時には思いがけない力を発揮させたり、思いがけない出来事を呼び起こしたりする。

 帰り道、買ったCDを車の中で聴きました。車内は一気に以前旅行したイタリアの空気に包まれました。また行きたいな、ローマ、ベネチア、ナポリ。そしてもう一度、「最後の晩餐」を観たいと思いました。

 書院や本館のギャラリーに置かれている何かの中に、皆さまを豊かで美しい世界にお連れするきっかけがあるかもしれません。たとえその場に行くことができなくても、届けられたパンフレットに載っているものに、心を奪われ、癒されることもあります。

 もし、お時間に余裕がございましたら、心の栄養の宝庫を、お立ち寄りの際に合わせてご覧くださいませ。

清水園/ひろ


 
 

# by hoppo_bunka | 2023-09-03 17:09 | 清水園 | Comments(0)

特効薬

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 大門の周りの木々もすっきりと整えられました。門も誇らしくお客様をお迎えしております。私も、今日の始まりを、もう一度ここで迎え、気持ちを門に寄り添えるように整えます。美しい日のスタートです。
 
 私は猪年生まれ。声や話し方で、おっとりしているとよく誤解されますが、性格は激昂する感情起伏が激しい、猪突猛進型で頑固です。始末が悪いですね。自分でも、怒りが湧いて来た時は、喚き散らしたいという衝動に駆られ、抑えるのに苦労します。というより、逆に大事にしたくなる。

 先日もそうでした。朝から些細なイライラが、急いでいる余裕のない心に降り積もり、これは何か、一つ大きな事をしでかして、自分の気持ちを訴えたい、という寸前までいきました。出勤前に最悪の状態が襲ってきました。でも、仕事には行かなくては。

 今日仕事が終わったら、そのまま、家に帰らないで好きなことをするんだ。一人で好きなものを食べて、行きたいところに行って、家族が心配したって構わない。そうやって発散して㏚しないと気が済まない。そんな風に思いながら着物を着ていくと、不思議なことが起こりました。

 着物は作り手の心がこもった、美しい生地でできています。それを高ぶった体に少しずつ重ねていくと、こんなに美しいものを纏いながら、まだ、そのドロドロした醜い心を抱えているのか、と自省する気持ちが湧いてきました。というより、美しい布が汚い心を消し去ってくれたという感じでした。帯を締める頃には、クールダウンし、すっかり落ち着いていました。びっくりしました。手に負えなかったイライラが、すっかり収まっていました。

 単純といえば単純。でも、美しいものに触れた時に、ずっと醜い気持ちを持ち続けたいとは、心は願いませんでした。そして醜い心から解放された喜びが体中に溢れました。怒りに支配された自分は、私自身も大嫌いな自分です。でも、時々それが顔を出します。対処に困っていただけに、この特効薬はとっても嬉しいものでした。

 身に付けるものに、私はよく影響されます。先日、とうとう老眼鏡を使わなければならないと決心しました。もう抗えない、と身に染みたからです。ものすごく抵抗があって嫌な老眼鏡だったけれど、どうせかけるなら、かけたいと思えるものにしようと、ネットで調べて注文をしました。
 届いた時、とっても気に入りました。作家さんの温かなお気持ちが伝わってくる商品だったからです。パッケージの可愛いシール、眼鏡ケースの素敵な質感、眼鏡ふきも、挟んであったしおりも、可愛らしく、物作りを愛おしんでなさっているのが、すぐ伝わってくる商品でした。眼鏡は似合わないかもしれないけれど、私はとっても嬉しくて、これで頑張っていけると確信しました。

 作り手の思いが伝わるものは、必ず受け取った人に力を与える。

 清水園の門も、葺き替え工事を炎天下の中、こつこつと続けていらした職人さんたちのお姿を見て、その心が伝わってくるから、私には本当に美しく貴く見えます。

 美しいものを創り届けて下さる方々のおかげで、美しい日を迎えることができる。その方がたの物を纏ったり、側で働いているならばこそ、美しさに染まる生き方をしなくてはいけないね、そう思いました。
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 お庭は晴れやか。心も晴れやかです。

清水園/ひろ

 

 

# by hoppo_bunka | 2023-08-29 17:06 | 清水園 | Comments(0)

夏は夜

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  大池を見に歩いて行くと、見られているように感じました。真夏の昼下がり。時が止まったかのような、気だるさの中で。
 遠目に見た鎧兜が、肉体は無くて、魂だけが残っている、そんな風に見えました。
 
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 書院の前に出ると、眩い光が差し込んで、先程はっと絞められた心が、ぱっと拡がりました。陰と陽。明と暗。
 夏の日盛りの中、ひと気のない清水園では、異空間を行ったり来たりできます。むわっとした熱気を時折風が掃き出すかのように吹き亘っています。
 でも実は、清水園ばかりでなく、夏という季節そのものが、異空間を併せ持ち、人の心を捉えるのかもしれません。

 夏といえば、真昼。青い空。白い雲。海、川の水遊び、そして山。日焼けした褐色の肌と白いシャツ、、とにかくエネルギッシュで若さが弾けている。
そう思っていたのですが、最近は、あまりの暑さにへとへとになっていることもあるせいか、清少納言の言う「夜」に軍配を上げます。

 日が落ちて、灼熱の太陽からようやく解放され、辺りが暗くなると、辺り一帯を覆うように聞こえてくる虫の音。それに呼応するかのように、天上には瞬く星。家の前に出て少しの間だけ夜更かしをしても許されて行う手花火。お風呂の後のアイス、かき氷。お盆にいっぱいのスイカ。この時季にしか会えない従弟たちと食べるごちそう。遅くまで騒いでいて叱られながらも狭い部屋の中で一緒に寝たこと、、、など、今でも鮮明に思い出すのは、ずっとずっと、夏の夜の思い出の方です。
 お祭りも、昼ではなく、宵宮。裸電球の明かりに照らされたおもちゃやお菓子など、今は買おうと思えば買える値段のものですが、本当にほしいものやしてみたいことは、言えないし、できなかった。親戚から夕食の食卓でいただくお盆小遣いは、本当に嬉しいものでした。

 きっと清少納言が推している趣とは違うところもたくさんあるでしょうけれど、夜の時間帯が一番楽しいのは、何と言っても夏です。

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 このような夕佳亭から、星空を見上げ、水の流れる音と虫の音に包まれ暗闇に浸るとしたら、清少納言の思いに近づけるかもしれません。
奥の滝の辺りに「蛍の多く飛び違いたる」様子が見られたら、うっとりいつまでもそこに居続けたいと思うことでしょう。

 清水園の夜は、真っ暗で少し怖いかもしれません。または、夜のしじまに、もしかしたら、お心を捉える異空間が開いているかもしれません。
 ぎらぎらした一日がもうすぐ終わります。主役の夜がひっそりと待ち構えております。まだまだ奥深い魅力を持つ清水園です。

清水園/ひろ

 

# by hoppo_bunka | 2023-08-21 16:45 | 清水園 | Comments(0)

母と子 親子


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 お盆で子どもたちが帰省したのでお墓参りに出かけました。先ず遠い私の実家、次に嫁ぎ先のお墓参りに出かけました。お参りをした後に私の実家にも立ち寄って話をする時間を設ければ良かったのですが、その日は新幹線から降りてからの1日の予定があまりにも詰まっているため、子どもたちも私たちも疲れてしまうと考えて、結局玄関先での挨拶にとどめました。

 コロナ禍の前のお盆では、家に上がって仏壇にお参りし、久しぶりに会う母たちと一緒に何か食べたり飲んだりして寛ぐことが続いていたのですが、この度は暑さで私自身が疲れていたこと、そしてもてなす方の母や妹も大変だろうと遠慮する気持ちが勝り、上がるのをやめました。

 夜、実家の母から電話がきて、「せっかく来てくれたのに、何もおもてなしをせず、愛想なしで申し訳なかった。」と詫びられました。
でも、暑くて大変な日だったから、迷惑にならない方が良いと思っていたので、「今度またゆっくりするからね。」と言って電話を切りました。

 子どもたちは今日帰京します。私も夫も彼らが帰る時間には仕事で間に合わないので、朝、慌ただしく、「また来るのを待っているよ。」と伝えて家を出ました。

 清水園はお盆のせいか、ご家族連れのお客様が今日は多いです。うだるような暑い日でしたが、小さなお子様連れのご家族は、ご両親もお子様も楽しそうに来園され出て行かれます。そんな様子を見ていると、親子一緒に過ごせる時間は永遠ではなく、またたく間に過ぎてしまうのだなぁと思います。

 今、家にいる子どもたちのことを思いました。今頃きっと、おばあちゃんに、「また顔を見せに来いよ。」と言われて手を握られていることでしょう。昨日の私の実家の母がしたように。そしてお土産を買うために、早目に駅にいくことでしょう。
 そう思ったら、急に寂しくなりました。子どもにあって、「待ってるよ。」と言って手を握りたくなりました。
 その瞬間、はっとしました。昨日、電話を夜かけてきた母は、まさに今の私が味わっている気持ちと同じ気持ちだったのだ、ということがわかったからです。迷惑なんて、たいしたことじゃない、疲れたってやっぱり側にいてほしかったんだ、ちょっとでも話をしたかったんだ、特に何か話すことなんかなくても、子どもと一緒にいられるだけで、幸せなんだ、と母の気持ちがわかったのです。

 ごめんね。昨日は急いで会えたのにすぐに帰って。次のお休みの日にゆっくり話に行くからね、と今心の中で母に謝っています。

 今晩は夫の妹家族と従弟が家に泊まりに来ます。それをおばあちゃんは、次いつ会えるかわからないと本当に楽しみに待っています。
そしてお帰りになっているおじいちゃんもきっと。家族が集えるという大切で楽しい時間を大事にしていかなければと思いました。

 新幹線の時間が近づいてきます。何か、胸がいっぱいになってきました。外は視界まで覆ってしまう勢いの蝉しぐれです。
夏の暑さはまだ衰えていませんが、間もなく閉園時間です。急いでお客様が二人お入りになりました。

清水園/ひろ











 

# by hoppo_bunka | 2023-08-14 16:43 | 清水園 | Comments(0)

追いつけるか?素晴らしき自然

 
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 先日テレビを見ていたら、人の声を再現できる技術が、かなりレベルの高いところまで進んでいることを知りました。
ちょうど、その数日前に、何だろう。何か機械的な話声がすると思ったら、発声装置を付けていらっしゃる方だったことがわかり、だからだったのか、と思ったばかりだったのですが、テレビで見たものは、装置を口に当てると、自分が望む第三者の声に変換されて出て来るというもので、聞いた声は、ほぼ、本人そのものの声を再現できていて驚きました。
 技術革新の素晴らしさに驚き、この技術を待ち望んでいる方々のためにも、どうか悪用されることなく優れた技術を開発していただきたいと思いました。

 より便利に、より快適に、そして失われたものを再現し、、、世界のどこかで、誰かが、必死に追求して発見したり創り上げたりしたものの恩恵を、私たちはあって当然のように受けている。人間ってすごいなぁと思うけれど、自分ひとりに焦点を当てて考えてみると、昔の人たちができていたことが、なかなかできていないことを思い知ります。衣食住全ての分野に亘って。
 ものに頼らない分、五感をフルに使って、昔の人は自立して生きていました。身体も衰えていく一方だし今更遅いかもしれないけれど、テレビの「ぽつんと一軒家」で放映されるお年寄りのように、自分の生活を自分で作るようになりたいと思いました。

 素晴らしい音声変換装置を見た次の日に、砂丘館で行われた「苔」のセミナーに参加してきました。そこでは苔が空気を清浄化することに着目して開発された、さまざまな商品とバイオフィリックデザインについての紹介がありました。植物が空気を清浄化してくれることは知っていましたが、それを住宅や職場、医療現場などに取り入れられようとしていること、しかも製品化が考えられていることは初めて知りました。

 「バイオフィリックデザイン」とは、自然を取り入れた空間デザインのことで、空気を清浄化し、作業の効率を上げ、幸福度を増す、というものです。オフィスや店内に観葉植物を置く、というのは以前からありましたが、セミナーで紹介されたのは、苔のカーテンや寝具、マスク、苔のタイヤ(走る度に、二酸化炭素を取り込んで、酸素を排出するというもの)、苔の柱、壁、といった初めて見るものばかりでした。
 技術の進化に驚くと同時に、自然のもつ偉大な力について、まだまだ人間はわかっていなかったり、かなわないのだと思いました。
苔のように、太古からあるもののもつ力を、人間はようやく今解明しようとしている。自然は遥かに大きく、我々人類が生きることを支えているのだと思いました。

 清水園は苔の美しさでも有名なお庭です。自分でできることを増やしたい、生きる力を増やしたい、と思ったばかりだったので、苔についての本を買いました。関わろうとすることが、無力な私ができる第一歩です。
 最高のバイオフィリックデザインの職場にいる者として、この幸運を人生にいかしたいと思います。

清水園/ひろ



# by hoppo_bunka | 2023-08-06 17:05 | 清水園 | Comments(0)