
「おばあちゃんが大変なことになっている。」ビックリするLINEが入りました。長男が家に帰って茶の間に腰かけているおばあちゃんの顔が、何か黒いなぁと思って近づくと、顔の中心部にどす黒い青あざができていて、眼鏡も曲がり、唇は切れ、手も擦り傷があったそうです。相当強く、しかも顔面を直撃したような打撲の跡が残っていました。あまりに痛々しくて、可哀そうでたまりませんでした。
ところが本人は何があったのかをまるで覚えていないのです。そして、傷は痛まないと言います。認知症というのは、悪いことばかりではないのだな、とも思いましたが、これから先、一人でいつまで家に置いておけるだろう、危ないな、と考えました。その時はすぐそこまで迫っているように思えました。
時は待ってくれない。そして私たちの背後には、ぴったりとくっついて様子を窺っている死の影がいつもある。
先日、万代島美術館で開催されている「Junaid展」を見てきました。同僚がみんなそれぞれ、「すごく良かった。」と見に行った翌日に、その素晴らしさを熱く語ってくれたので、熱量が伝わって、初めは関心がなかったのですが、それなら行ってみよう、という気持ちになりました。
400点を超える作品は、一つひとつ細密で色彩豊かに描かれてあり、作者がいかに描くことが好きでたまらないかが伝わってくる作品ばかりでした。
展示作品を回りながら、「好き」にとことん打ち込める、夢中になれるっていいなぁと思いました。生きている中心に、「好き」があって、ずっとそれを追求していく。あなたも、自分の好きなことに夢中になっていきなよ、人生は時間が限られているのだから、本当にしたいことに費やしなよ、そんな風に言われている気がしてきました。
今日は父の日です。58歳で亡くなった父は、病気が発覚した後すぐに入院し、1年経たずに亡くなってしまいました。それまでずっと働いていたので、仕事を辞めたら、やってみたいことや行ってみたい所など、きっとあっただろうと思います。
1970年の万博も、本当は本人が行きたかったのに、仕事があり、代わりに招待を母と姉と私の3人が受けました。出発する日に、「いいなぁお前たちは。」と言って見送ってくれた姿を、今の万博のニュースを見ると思い出します。
やりたいことをやっているか?思いっきり生きているか?
静かに雨の染み込むお庭から、父が問いかけてきます。
なかなか上手くは進みません。私のことですもの。わかっているでしょう、パパ。
でも、母校を懐かしく思うのと同じくらい、私はきっと、清水園と博物館のことを、この後ずっと思い出すに違いないと思う。
そんな場所で毎日大好きなものを眺めて暮らしているよ。そして、まだまだ深めていきたいことを見つけたよ。他の方からも、素敵なものをたくさん教えていただいて、幸せだよ。
お庭が滲んできました。
好きをとことん。夢中になって。亡くなった人の分まで。できなかった人の分まで。
その熱量が誰かを幸せにする。
清水園/ひろ