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今を全肯定

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 晴れやかな空のもと、足軽長屋の桜も大きく花開きました。今日、この桜のようなお客様に出会いました。
 
 受付にいらした時、抗がん剤の治療を受けられたのかな、と思いました。妹が抗がん剤の治療を受けていた時の髪の様子と、とてもよく似ていらしたからです。
 でも爽やかな、快活な笑顔で来園され、気持ち良さそうに園内をご覧になっていらっしゃいました。病気は私の想像なので、もしかしたら、そんなことはないのかもしれません。
 今日の心地よい春の日を、そのまま体から発していらっしゃる、そんな印象を与える方でした。

 恥じらいも、気負いもなくて、自然体の人の姿は、こんなにも美しいのかと思いました。この方に会えて、本当に良かった。この喜びを皆さまにもお伝えしたいと思いました。

 私は、私を全肯定する。そうすれば、誰も私を傷つけることはできない。
 私は、今、この時を享受する。そして、今の自分自身を享受する。その方の輝く笑顔を見てそんなことを思いました。

 人は今日より若い日はありません。確実に、日に日に衰えて、できなくなることが増え、老いに向かって進んでいきます。
瑞々しい美しさを失ったとしても、今の自分を自分自身で愛おしんでいこうと思いました。
 お客様からいただいた素晴らしいプレゼントを、皆さまにもお届けします。

 長屋の側の桜は、散り始めています。でも今日の命を輝かせながら咲いています。今を全肯定。潔く。そして誇らしく。

清水園/ひろ

 
 

 

# by hoppo_bunka | 2024-04-14 17:15 | 清水園 | Comments(0)

本来の在り方を観る

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 4月7日(日)、麗らかな陽気の中、大倉茶会が行われました。
訪れる方も、おもてなしをされる方も、心を配り、この一日を大切に迎えられたということが伝わってくる、そんな1日となりました。

 普段は閉められている同仁斎も開け放たれ、
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 武家屋敷も点心席に形を変えてお客様をお迎えしました。
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 その日は外国人のお客様も大勢来園されたので、私は足軽長屋への誘導を兼ねて外にいました。外で春の陽射しを浴びていると、こんな風に、じっと春の光景の中にいるのは、いつ以来だろうと思いました。暖かく、気持ち良く、マスクを外して伸びていく木々の新芽を眺めていました。
 お茶会を終えられた方々は、皆、楽しそうにお話をされながら帰っていかれました。その中に、コロナ禍をきっかけに、会えなくなっていた知人がいて、「清水園でお茶会があったら、全部教えてね。また会おうね。」と言って約束を交わしました。

 主催者の方は、気配りを求められることが多く、疲れも伴うお茶会だと思いますが、私はお茶会の雰囲気が大好きです。今日一日を晴れの日としようという心配りが、辺りに満ち溢れて美しく行き届いているからです。お茶室も使われる状態が本来の在り方ですから。今回は使用されませんでしたが、夕佳亭の脇の桜も、合わせるかのように満開となり、お客様をお迎えしていました。
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 1日置いて今日9日は、朝から冷たい雨風が吹き付けています。昨日の暑さとは打って変わって、寒々とした陰りのある一日となりました。7日の麗らかな記憶がまだ残っていたものですから、外で作業をしていた職員に、「雨の中の作業は大変ですね。」と、恨めしいような言い方で話しかけました。

 すると、「でも、この雨できっと草木は喜んでいるから。」と応えが返ってきました。「かぴかぴになっていましたからねぇ。」

 その言葉を聞いた途端に、雨に打ちひしがれて震えているように見えていた木々が、雨を受け止め、体中に迸しらせて、生き返っているように見えました。人は、自分が冷たい雨に打たれて濡れていても、自然と共に生きていると、そういう感じ方ができるのだ、と思いました。
 「観えるとは、観たものと、観る人の何かが結びつくこと」と料理研究家の土井善晴先生がおっしゃっていたのは、こういう事なのだ、と感じました。

 昨日私の目に見えたやすらぎ提の美しいソメイヨシノも、23度の暑さの中、実は水に飢えていたのかもしれない。

 草木の本来の在り方を、観えるようになりたい、と思いました。人間に都合のよい自然ではなく、本来の自然を愛でることができるように。
 
 もっと、もっと、お庭の中に入って、感じ取れるようにならなくてはいけないな、と謝る気持ちで降りしきる雨をみつめています。

清水園/ひろ
 

# by hoppo_bunka | 2024-04-09 17:05 | 清水園 | Comments(0)

繋がっている

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 最近、自分の周りの世界は、何か一つの大きな環で繋がっているのではないかと思うようになりました。「好き」が引き寄せている、とでも言いましょうか。そう思うことが立て続けに2件起こりました。この橋のように、直接に繋がるのではなく、側に控えている世界で繋がっているような感じです。

 一つ目は河井寛次郎の本。日曜美術館で知り、虜になったと思ったら、彼と、濱田庄司、そして、バーナード・リーチの作品が載った大型本が、新潟分館から本館に送られてきました。高額で、ずっしりと重く、自分ではとても買えない本でしたが、博物館に勤めていることで、好きな時に、じっくりと眺めることができる幸せを味わいました。

 もう一つは、音楽文化会館で行われたコンサートに招待して下さった方が、私が大変お世話になっている方と親戚関係でいらしたことがわかったことです。チケットを下さるという電話のやり取りから、そのことがわかりました。
 どちらも、大変お世話になっている方ですが、まさか、親戚でいらしたとは。でも、こういう偶然のようなことが、私の人生には、これまでもいくつかあったなぁと、思い出され不思議な気持ちになりました。まるで、何かに導かれているようです。

 一人の人の周りには、その人を囲む大きな繋がりがあって、引力として作用することもあるのだと思います。人や物に出会うというのは、引力を併せて手に入れるようなもの。
 そして、「好き」を追求することも、巡り合う機会を必然的に引き寄せているのかもしれません。美術工芸品も、古典も、庭も。

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 ひなびらきで展示されているお雛様のコメントに、「30年ぶりに雛人形を飾って人様に見ていただけることに感動です。」というものがありました。ご来園の方々は、その方がなさっていたように、お雛様をご覧になり、うっとりと、これらの人形を慈しんでいらした時のことを思い出されたと思います。

 私もその方とはお会いしたことはないけれど、これらのお人形を愛おしく思う気持ちの上で、繋がっていると感じます。愛するものを愛おしむ気持ちは、手放した後も宿っていて、見ているものに受け継がれていく。引力が働くのだと思いました。

 生きていくことは、自分が追い求めているものを、手繰り寄せようと、もがき続けていくことなのかもしれない。私が欲しい平和な世界は、それを希求する気持ちをもっと、もっと強くもって、同じ思いをもつ人との繋がりをもたなくては実現されない。
 お人形を愛おしむように、平和な世界を愛おしみ、その気持ちを伝えていこう。
 
 清水園のお庭は、基盤です。美しく平和な世界を手繰り寄せる。どうぞお越しくださいませ。

清水園/ひろ

 

 
 

 
 

# by hoppo_bunka | 2024-03-25 16:17 | 清水園 | Comments(0)

木は感じている

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 春の雪は淡く儚い。百閒馬場は、雪解けの雫がきらきらと輝きながら降り注いできます。晴れている日こそ傘が必要です。
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 今日は天候がくるくる変わって不安定。時折パラパラと降りて来る霰も、日が差したら一瞬のうちに消えてしまいました。      美しいものが目の前に留まるのは一瞬。人は心を動かすその一瞬の本質を捉えようと、写真を撮ったり、絵を描いたり、詩歌や音楽に表したりします。そして自分が感動したものの本質を見事に捉えた芸術作品に出合うと、心が震えます。

 メディアシップで開催された、「KAGAYA 星空の世界展」の写真は、そんな心が震える作品ばかりでした。
一つ一つの写真を見ながら、私たちにはこんなに美しい世界が無条件に降り注いでいる。私たちは誰もがこんなにも美しいものを受け取っている。祝福されている。そして、その瞬間を捉えるために、写真家は何日も、何時間もかけて、一生をかけてそれを追い続けている。と思いました。
 清水園に写真を撮りに来られる方々が、長時間ずっといらっしゃる理由をようやく理解することができました。
 いつ訪れるかわからない光景の一瞬の美しさを追い求め、光との出会いをずっと待っていらっしゃるのだと思いました。そして、一度でもその瞬間を捉えることができたら、その喜びは忘れられないものとして残り、再びその瞬間との出会いに駆り立てていくのだと思います。詩人が一つの言葉に辿り着くまでに、永遠に渇き続けるように。

 私たちの頭上に拡がる自然は美しい。それを奪い去っているものがあるとしたら、それは人間です。

 世界は一つでつながっていて、地球はぽっかりと暗い宇宙の中にあって、人はここを出たら生きていけないのに、人類の叡智はなぜ機能しないのだろう。地球自体が壊れ始めたら、人類は止めようがないのに。自然災害の恐ろしさは、どの国でも経験しているはずなのに。
 
 霰のように、数秒後には儚く消え失せてしまうものでも、見る人の心に美しさを届けることができるなら、私たちは次に生き続けるものたちに、どんな美しい世界を損なわず届けることができるだろう。

 清水園には見た目には平和で穏やかな世界が流れています。でも地球とつながっている植物たちは、私たちよりはるかに、危機を身近に感じているのではないかと危惧しています。

清水園/ひろ
 

 
 

# by hoppo_bunka | 2024-03-10 17:06 | 清水園 | Comments(0)

私の手は、どんな術を

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 「しばたひなびらき」に合わせてお雛様を受付にも飾りました。今日はお客様がとっても少ないので、3人で空から降りて来る雪を眺めて過ごしています。時折茅葺き屋根からドサッと雪が滑り落ちてきます。雪国の暮らしに慣れていらっしゃるのか、大きな音を立てても、お雛様はすまし顔です。着付けを教えてくださった陶芸家でもある先生の作品です。

 先生の、「私の作品は、長い月日をかけて作ります。これからは、あなたの側で、長い年月を共に過ごしていきますように。」というお言葉が添えられていました。
 物を受け取る時は、作り手の想いに心を向けなければと思った作品でした。

 寒いので、白酒を飲んで温まりたいなぁと盃を見て思います。以前お世話になったお茶の先生のお宅でご馳走になった、ひな祭り茶会に出された白酒の美味しかったこと。温かいおもてなしの心地よさと共に、忘れられない思い出となっています。

 昨日、潟東樋口記念館 潟東歴史民俗資料館と、岩室温泉ひなめぐり、そして新潟市のギャラリー蔵織に、おひなさま巡りに行ってきました。本館と同じように、享保雛がたくさんありましたし、岩室の能面アトリエ無匠庵では、数多くの能面も見ることができました。卵の殻に描かれたお雛様や、ひょうたんをくり抜いて透かし彫りにしたお雛様などもあり、こんなに美しい物を創り出す人の手の素晴らしさを感じました。

 河井寛次郎が、ある農家の方が作られた蓑があまりに素晴らしく美しいので、自分も欲しくなり、「こんなにすごい物でなくて、ちょっとした簡単なものでもよいので、自分にもひとつ作ってくれないか。」と頼んだところ、その老人は、「わしは簡単な手を抜くという術をしらん。」と答え、これが生活に根差す物の本質だ、と思ったそうです。
 手を抜くという術を知らない生き方。そこから生まれるものは美しくないはずがない。

 岩室温泉街は、さまざまなお店の店先にお雛様が飾ってあり、通る人の目を楽しませていました。
 「しばたひなびらき」でも、お茶会やコンサートなど、さまざまなイベントが組み込まれて楽しそうです。東北民藝館のお雛様も蔵春閣に展示されているということで、見てみたいと思っています。行けるとよいのですが。

 刺激を受け、我が家のお雛様も昨晩ようやく出し、飾り付けを始めました。それを見ていた義母が、「明かりをつけましょ ぼんぼりに」とひな祭りの歌を口ずさみました。懐かしいと笑いながら。90歳の義母の幼い日のことを思いました。なぜか少し切なくなりました。長い歳月を、お雛様も同じように過ごしています。そうして今、私の目の前に在る。
 書院に飾られているお雛様をじっと見つめていらっしゃる方がたも、どんな「かの日」を思い出していらっしゃるのでしょう。

 時間をかけて作りあげていくものから、人は力をいただく。手を抜く術を知らないと言い切れる、そんな生き方ができたらいいな。
 人間を信じたい。破壊ではなく、美しいものを創り上げていくことを求めていると信じたい。私の手は、何を作り出していけるだろう。そんな思いが湧き起る一日でした。

清水園/ひろ

 


# by hoppo_bunka | 2024-03-04 18:10 | 清水園 | Comments(0)