
堀部安兵衛伝承館にある、弦巻松蔭の文字です。弦巻松蔭は、新発田で活躍した書家で、新発田市内のあちこちで、記念碑や看板の依頼を受け書かれた彼の作品を見ることができます。令和6年度の新発田市郷土史講座第2回に取り上げられ、星野淳雄氏の資料により、彼について詳しく知ることができました。
若い頃は、「楷書の松蔭」と言われたように、力強い楷書が見事だったと言われ、張猛龍碑の臨書など、資料の写真で見ましたが、素晴らしいものでした。また、彼の言葉がいくつか紹介されていて、その中の「作品には品格がなければ・・・品格は作者自身の本質ですよ。」という言葉が胸に刺さりました。
こどもの頃から、ずっとずっと字が上手くなりたいと思っていました。勤めている清水園(師範資格有の職員がいます)も、北方文化博物館も、達筆な方が多く、その方々と比べると、なんと自分の書く文字は品格が無いことか、と嘆かわしくなります。人からものを頼まれた時、躊躇することなく、さっと美しい文字を書くことができたなら、どんなに良いだろう、と書道教室に通った時期もありましたが、一緒に通った子どもたちの方が上手くなり、私の方は、さっぱり上達しませんでした。それで、子どもたちが止めると同時に私も習うのを止めてしまいました。
清水園や本館に送られてくる、「ふうど」という季刊誌の2025冬号は、学問の神様である天神さま、菅原道真にまつわる特集でした。
天神様にお供えをして、「頭が良くなりますように。字が上手くなりますように。」と祈る文化が今でも県内に残っていることを知りました。
この二つの願いは、私を含めて多くの人が子どもの頃に思っていた願いなのではないかと思います。頭が良くなりますように、と願うことは、今でもずっと思い続けています。そして字がうまくなることも。
小学生の頃、夏や冬休みの宿題に競書、書初めがあって、一生懸命上手い字を書こうと練習したことを思い出しました。でも、思うような字は書けず、もう、これしかない、と紙もみんな使ってしまって、仕方なく選んだものを提出していました。同級生の上手い子の作品を、どうしたら、あんな風に書けるのだろう、いいなぁと金賞の札が付いている文字を羨ましく眺めました。きっと、私よりはるかに、書くことに向かい合っている時間が多かったのだろうと思います。そして、こんな風に書きたいという意欲も。
弦巻松蔭は、病気で倒れてからも、作品を書きたい気持ちは変わりなく、奥様に体を支えてもらいながらも一文字の作品を書き続けたそうです。人の手から生み出される美しいものには、作者の計り知れない情熱と努力が注ぎ込まれているのだろうと思いました。それは、先日見た、敦井美術館の茶道具と文人画の名品や、NSG美術館の粛粲寶の鳥展の絵と賛にも感じました。
文字も、絵も、焼き物も、究極に美を追求し続けた者に、ある時ぽっと神の采配が宿る時が来る。
美しいものを生み出す手になりたいなぁ、と二つの美術館を出て思いました。欲張りでしょうか。賢くもなりたいし、字も上手くなりたい。品格も身に付けたい。こんなに美しい清水園や博物館で働いているのですから。そしてこの受験期になるとよく取り上げられる学問の神様は、今も学びを生かした世の中へと、私たちを導き続けている。
平日の図書館は、私のような、そして更に年上のシニアの方々がいっぱいいらして、読書をしたり勉強をしたりしていらっしゃいます。その姿を見た時、もう一度、勉強ってできるんだ、と勇気づけられました。
できることから、こつこつ一生懸命、そして丁寧にやり続ける。
書は人である。さぁ、また一つ頑張らなければならないことができました。
清水園/ひろ