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見ていてね

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 梅雨明けの燦々とした陽射しが大門に降り注ぎ、眩いばかりです。
 
 美しく整ったものは、見る人の心も明るくする。年月を重ねて古びた味を出すのも良いけれど、このように整った、正統派の美しさも良いものだと心が自然にときめきます。葺き替えの終わった門は堂々とお客様をお迎えしているように見えました。

 昨日、長岡市栃尾美術館に、「中原 淳一展」を見に行きました。描かれている女性が一人一人とっても美しくて、自分はもう、とっくに、これらの女性の年を超え、老いてしまっているのに、素敵だなぁと憧れて1枚1枚の絵を見てきました。
 
 中原さんは、美しく装うことの大切さをずっと提唱し続けた方で、「美しいとは細やかな気遣いである。」とおっしゃっています。朝、出かける時にピカピカに靴を磨いていくか、くたくたのままでいくか。お料理をお皿に盛りつける時に、お皿の色合いを考えて棚から出してくるか、考えずに載せているか。ボタンが外れかけていても、そのまま着ていくか、、、、、

 毎日の本当に小さな一つ一つに心を込めることができたら、輝かしい若さは失っても、幸せを感じたり、与えたりすることは増やしていけるかもしれない。会場に掲げられている、彼からのメッセージを読んでいるうちに、やってみようと思う事が沢山出てきました。
そして今日、大門を見て、それから掃き清めた後の苔を見て、思いました。ないがしろにしている沢山のことを、少しずつ変えていけば、このように眩い人生が生まれるかもしれない。

 やってみるから、見ていてね。今日はどうだと問いかけてね。と、大門に監視を頼みました。
 

清水園/ひろ
 
 

 

# by hoppo_bunka | 2023-07-22 17:09 | 清水園 | Comments(0)

ギフト

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 妹からお中元のお酒が届きました。毎年全国の珍しいお酒を送ってくれるので、楽しみでした。お礼を伝えたら、「今年は退職してこれからスリム化を目指すから、これで最後にするね。お返しもいらないからね。」と言われました。以前姉も還暦を機に「年賀状はもうやめる。」と言ってきたので、これでまた付き合いが一つ減る、と寂しくなりました。同時に、人生のスリム化をみんな考えているのに、自分はなかなかできていないと思いました。

 姉妹LINEもあり、互いに連絡を取り合ってはいるのですが、これからは、お中元ではなく、時々手紙を出そう、形式的なものではなく、近況を知らせ、心を届けようと思いました。

 受け取った相手の心に静かに広がる世界をギフトにしたい、できたらいいな、と思います。

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 今日は朝から雨が降ったり止んだりの一日です。私は受付に座って、時折激しくなったり、収まったりする雨音を聞いています。

 雨を吸ってふんわりと広がる早緑の苔。雫を載せて垂れ下がる紅葉の葉。うす暗い書院の入口に灯る明かり。人の気配に近づいて来る赤や黄の錦鯉。時折ちゃぽんと向きを変える時に聞こえる音。ひっそりと佇む茶室。水面に落ちる雨粒の波紋。
 離れた受付にいても、お庭からのギフトは、私の中に静かに広がっています。
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 先日水につけて蒔くのを忘れていた朝顔の種を、駄目かもしれない、と思いながらプランターに蒔きました。三十以上あったうち、二つだけが芽吹きました。毎年当然のように芽吹くと思っているものでも、芽吹かなかったり、咲かなかったりすることもある。そして、今年芽吹かないものでも、休眠し、力を蓄えて、再び花を咲かせてくれるかもしれない。

 生きるとは、ギフト。未来に恩返しをすることでもある、と思いました。何を残せるだろう。あのちょこんと芽吹いた朝顔が与えてくれたように。
 見る人に向かって、自分の命を誇らしく背負っていたい、と思います。

清水園/ひろ

 
 

# by hoppo_bunka | 2023-07-09 14:32 | 清水園 | Comments(0)

つながりの視点

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 霧のような雨が止みました。静かに佇む書院です。そこを出て門に向かって歩いていくと、
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足場を組まれた葺き替え工事の門が見えます。

 先日、入口から何度もこの門を見上げていらっしゃる方がいました。工事に興味がお有りなのかとお声がけをしましたら、「うちのおじいちゃんが、この門と足軽長屋の屋根の葺き替えをしたんです。だから、ああ、新しく変えられるんだなぁと、亡くなったおじいちゃんのことを思いながら見ていました。」とおっしゃいました。
 おじいちゃんは、7年前に亡くなられ、仕事を継ぐ方もいらっしゃらなかったので、時折側を通ると、この屋根をおじいちゃんが葺いたんだ、と思ってお子さんに言ったりしながら見られていたそうです。そんな風にご覧になっていたんだと思ったら、全くそういう目で、この門を見ていなかったと気づかされました。

 大雪やカラスのせいで、茅葺屋根はずいぶん傷み、「早く直せるといいなぁ。」とずっと願っていました。清水園の絵葉書に写された頃のように、きれいな屋根に直してほしいと、ずっと思っていました。
 でも、物には歴史があり、携わる人があり、それらを経て、目の前に在る、ということに思い至りませんでした。

 98歳まで虫や花を愛し描き続けた細密画家、熊田千佳慕さんは、枯れた葉を描く時に初めに瑞々しい若葉を描きました。それから、その葉が枯れた色になるまでの月日を想いながら徐々に色を重ねていき、最後に枯れた色になるようにしていきました。目の前の葉っぱにも生の営みがあり、若き日々があり、それらを追いながらその終焉の色を生み出していきます。だからこそ、彼の描く絵は、実物そのもののように、感じられるのでしょう。私なら、初めから、茶色の枯れた色で塗ろうとします。そんな見方をするなんて、と驚きました。

 トヨタ自動車の工場に掲げてある言葉を知った時も、同じように感じました。
 
 「ユーザーは、この一台でトヨタを語る」

 目の前に在るものは、時間や歴史や思いや人など、何かとつながりがあり、そしてそれは、未来の何かにもつながっていく。
 本当の意味で、ものを見るというためには、つながりを意識することが必要なのだと思います。でも、私はなかなか、それが出来ずにいて、表面的なものしか見えないことが多く、人が教えてくれることで、ようやく気付くことが多いです。

 歴史ある場所というのは、本当に学ぶことがたくさんあり、教えていただくばかりだと鈍い心に言い聞かせます。想像力の欠如は、時として悲しみを生む。何度も門を見上げていらした、あの方のように、門やお庭や建物を愛おしんでいきたいと思います。

清水園/ひろ




 

 





# by hoppo_bunka | 2023-06-11 17:05 | 清水園 | Comments(0)

後継者

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 先日、清水園と本館で、二つの嬉しいことがありました。
清水園にはボランティアガイドさんが、ご案内に来て下さるのですが、その日は市内の中学1年生の男の子が一緒でした。
歴史が好きで、新発田のことも詳しく知りたいと、お城のガイドさんにもいろいろなことを教えていただき、次は清水園ということで、ガイドさんに付いて勉強に来てくださいました。ガイドさんは年輩の方が多いので、教えるガイドさんも、地元の中学生が興味を持ち、自ら活動しようとすることがとっても嬉しそうでした。貴重な日曜日に一人で来てくださいました。

 もう一つは本館で、それは横越小学校の5年生の5人グループでした。受付で、「日曜は子どもは無料ですよね。」と確かめ、「よし、行こうぜ。」と、お渡ししたクイズの答えも探しながら、「次はあっちに行こうぜ。」と、館内を駆け回っていられました。時間をかけ、博物館をたっぷり見学されていきました。

 清水園では、時々中学生の校外自主研修を見かけます。グループごとに、訪問先の記録写真を撮るのでしょうか、足軽長屋や、清水園の看板の前で写真を撮っていかれます。予算が入っていない学習なのか、外側から中を覗きながら入らずに帰っていかれます。それがとても残念でならず、「日曜、祝日は小中学生は無料ですので、ぜひお越しください。」とお伝えしたくなります。
 きっと学校で事前学習を本やパソコンで行っていらっしゃるとは思いますが、そうやっていながら、場所の確かめ、外観だけで終わらせてしまうのは、せっかく門の前まで来ているのに、とってももったいないことだと思うのです。お金がかかるからダメと言われれば、仕方ないことですが。資料だけでよしとせず、入って感じてほしいのです。この空間の心地よさを。

 史蹟や博物館、美術館などに訪れるのは、ごく一部の方を除いて、ほとんどが大人です。だからこそ、今回の二つの出来事は、地元の子どもたちが、地元にあるものに興味を持って、一人で、あるいは友達を誘って来てくださったということがとっても嬉しかったです。

 八代文吉館長も、ノルウェーのボルドーにある小さな博物館で同じようなことを感じられました。そこでは、博物館は子どもたちにとって、難しいことを勉強する場ではなく、遊びであり、癒しの空間でした。そこの館長さんは、気安く話しかけることができ、行くところには子どもたちが集まってきます。鳥の卵を見つけて、「何の卵?」と聞くと、それはどこにでもいるスズメの卵だったとしても、その館長さんは、「君たち、どこで見つけたの?実は私がこの博物館に来て30年も探していた鳥の卵なんだ。君たちの名前と住所を教えてほしい。」と言い、その後で鳥と卵の絵を描いて子どもたちに手渡します。「この鳥の卵を見つけたい。急ぐ必要はないが、探してほしいのだが。」と。
 また、「自分が3日間ここに来なかったら、代わりに朝夕5センチこれらの缶を動かしてくれないか。」と千年以上も経っている舟の保存作業をお願いします。「自分が病に倒れてしまっても、舟を頼むね。」と話しているのでした。
 歴史的な文化財の保護は、一部の大人や専門家たちだけがやるものではない。誰もが自分たちの文化は自分たちで守り、後世に伝えていくことができると八代は『わが思い出は錆びず』という本に書いています。

 歴史ある清水園と本館に興味を抱いて下さった小さなお客様たち。彼らが、一度きりではなく、何回も来たいと思ってくださる場所となるように、お迎えする側として、自分自身も博物館の一部なのだと、心して勤めていきたいと思いました。
 そして今、流れていく雲、通り抜けていく風にそよぐ木々の枝葉。人が決して創りだせない自然の力を尊び、感じていきたいと思います。

清水園/ひろ

 


# by hoppo_bunka | 2023-06-05 17:16 | 清水園 | Comments(0)

もう一度 

もう一度 _e0135219_14200222.jpg
 ゴールデンウイークに入り、本館も清水園も連日大勢のお客様がいらっしゃいます。その中で何人かのお客様は、仲良く手をつないでいらっしゃいます。そのような方がたをご覧になって、ある方がこんなことを教えてくださいました。
 「あそこに手をつないで歩いていらっしゃる方たちがいらっしゃるでしょう。ああいう方たちを見ると、私はいつもあんな風に相手の方と手をしっかりつないでいらっしゃい、とお伝えしますの。その手の温かさをもう一度味わいたい、と願っても、味わえなくなる時が必ず来ますから。」
 8年前に御連れ合いを亡くされた年輩の方が、今でも、もう一度味わいたい、と願う手の温もり。そんな風に私は夫のことを思いながら今生活をしているだろうか、と愛する方への思いにはっとさせられました。

 そのお話を伺って、家に帰って夫の手を握らせてもらいました。温かくてやわらかい。こんな風に夫の手を握るのは、何年ぶりなのだろうと思いました。当たり前に思ったらいけないのだ。愛する人と一緒に過ごせることを、と思いました。
 
 10代の頃、好きな人と手をつないで歩くだけで、どきどきしました。一緒にいることが嬉しくて、家に帰る時間が来ると悲しくて、いつまでも一緒にいたいと願いました。
 今、毎日愛する人と一緒にいることができる生活を送っているのに、それはもう日常の一部に溶け込んでしまって、当たり前のことに変わっていました。それだけに、「もう一度、あの温かさを味わいたい。」と願う、という年輩の方の言葉に、心動かされました。

 亡くなる前に、ずっと握っていた父の手を思い出しました。亡くなってからも、何度も近寄っては握った手は、次第に硬く冷たくこわばっていきました。
 
 夫の温かい手の感触を受け止めながら、この人との暮らしを大切に味わっていこう、と思いました。失う前に。もっと、ああしておけば良かったと悔やむ前に。どんなに今、そう心掛けても、失った時は、きっと、それでも後悔することがたくさん出て来るに違いないから。一緒にいられることのありがたさを、生きているうちに、しっかり味わい伝えていこう、と思いました。

 限りある人生の中で、愛する方と一緒に過ごすことができる時間は、かけがえのない時間です。次の瞬間には失われるかもしれない。

 今日は雨。連日にぎわっていた園内も静かな時間が流れています。ご家族でいらっしゃる方、お友達や恋人同士でいらっしゃる方を受付で眺めながら、大切な方とお過ごしになる時間を、どうぞ大切になさってください、と祈りました。そしてそんな場所として清水園を選んでいただいたことを嬉しく思いました。

 今日は家族とお夕飯を食べることができそうです。その時間の恵みを思いっきり味わい、喜ぼうと思います。雨の恵みを全身で受け止め艶めく木々のように。

清水園/ひろ


 

 


# by hoppo_bunka | 2023-05-06 16:36 | 清水園 | Comments(0)