
先日、清水園と本館で、二つの嬉しいことがありました。
清水園にはボランティアガイドさんが、ご案内に来て下さるのですが、その日は市内の中学1年生の男の子が一緒でした。
歴史が好きで、新発田のことも詳しく知りたいと、お城のガイドさんにもいろいろなことを教えていただき、次は清水園ということで、ガイドさんに付いて勉強に来てくださいました。ガイドさんは年輩の方が多いので、教えるガイドさんも、地元の中学生が興味を持ち、自ら活動しようとすることがとっても嬉しそうでした。貴重な日曜日に一人で来てくださいました。
もう一つは本館で、それは横越小学校の5年生の5人グループでした。受付で、「日曜は子どもは無料ですよね。」と確かめ、「よし、行こうぜ。」と、お渡ししたクイズの答えも探しながら、「次はあっちに行こうぜ。」と、館内を駆け回っていられました。時間をかけ、博物館をたっぷり見学されていきました。
清水園では、時々中学生の校外自主研修を見かけます。グループごとに、訪問先の記録写真を撮るのでしょうか、足軽長屋や、清水園の看板の前で写真を撮っていかれます。予算が入っていない学習なのか、外側から中を覗きながら入らずに帰っていかれます。それがとても残念でならず、「日曜、祝日は小中学生は無料ですので、ぜひお越しください。」とお伝えしたくなります。
きっと学校で事前学習を本やパソコンで行っていらっしゃるとは思いますが、そうやっていながら、場所の確かめ、外観だけで終わらせてしまうのは、せっかく門の前まで来ているのに、とってももったいないことだと思うのです。お金がかかるからダメと言われれば、仕方ないことですが。資料だけでよしとせず、入って感じてほしいのです。この空間の心地よさを。
史蹟や博物館、美術館などに訪れるのは、ごく一部の方を除いて、ほとんどが大人です。だからこそ、今回の二つの出来事は、地元の子どもたちが、地元にあるものに興味を持って、一人で、あるいは友達を誘って来てくださったということがとっても嬉しかったです。
八代文吉館長も、ノルウェーのボルドーにある小さな博物館で同じようなことを感じられました。そこでは、博物館は子どもたちにとって、難しいことを勉強する場ではなく、遊びであり、癒しの空間でした。そこの館長さんは、気安く話しかけることができ、行くところには子どもたちが集まってきます。鳥の卵を見つけて、「何の卵?」と聞くと、それはどこにでもいるスズメの卵だったとしても、その館長さんは、「君たち、どこで見つけたの?実は私がこの博物館に来て30年も探していた鳥の卵なんだ。君たちの名前と住所を教えてほしい。」と言い、その後で鳥と卵の絵を描いて子どもたちに手渡します。「この鳥の卵を見つけたい。急ぐ必要はないが、探してほしいのだが。」と。
また、「自分が3日間ここに来なかったら、代わりに朝夕5センチこれらの缶を動かしてくれないか。」と千年以上も経っている舟の保存作業をお願いします。「自分が病に倒れてしまっても、舟を頼むね。」と話しているのでした。
歴史的な文化財の保護は、一部の大人や専門家たちだけがやるものではない。誰もが自分たちの文化は自分たちで守り、後世に伝えていくことができると八代は『わが思い出は錆びず』という本に書いています。
歴史ある清水園と本館に興味を抱いて下さった小さなお客様たち。彼らが、一度きりではなく、何回も来たいと思ってくださる場所となるように、お迎えする側として、自分自身も博物館の一部なのだと、心して勤めていきたいと思いました。
そして今、流れていく雲、通り抜けていく風にそよぐ木々の枝葉。人が決して創りだせない自然の力を尊び、感じていきたいと思います。
清水園/ひろ