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映画「峠」最後のサムライ と 吉ヶ平(よしがひら)民家

この夏は、映画「峠」ロケ地のひとつとして、「峠」ファンの多くのお客様にご来館いただくことができました。実はロケ地としてだけでなく、もう一つゆかりのある建物が当館に。移築古民家のひとつ「吉ヶ平民家」がその建物です。

北越戊辰戦争時、1868年(慶応4年)5月の長岡城陥落、同7月の再落城の際、長岡から会津への敗走路となった8里(32キロ)の峠道。実際より10倍もの「八十里越え」と名付けられたのはその険しさゆえとも言われます。福島県只見町叶津までをつなぐこの「八十里越え」の越後側の起点となる地域が吉ヶ平(三条市下田)。当館に建つ吉ヶ平民家のふるさとです。

「八十里越え」は、江戸期より奥会津と中越後を結ぶ生活路として、塩、金物、魚類、などの生活物資や人々が往来し、山村の吉ヶ平は物流拠点の宿場町として大いに賑わい、発展しました。

その後幕藩体制が一新し、助郷が廃止されるなど道路の維持が困難となるなか、新潟・福島両県からの生活路再建運動によって1894(明治27年)新八十里越として県道が編入されますが、1914年(大正3年)には福島県郡山と新潟県新津を結ぶ、岩越鉄道(のちの磐越西線)が開通するなど、また薪炭からの燃料革命が進むなどの時代に沿って峠道は役目を終えます。

かつて八十里越えの宿場町として栄えた吉ヶ平も、高度経済成長が進むにつれて山村生活は不便さを増していき、ついに1970年(昭和45年)、残った19戸が集団離村を決心、積雪期前の11月に吉ヶ平は閉村されました。

その際、縁あって当館に寄贈・移築された吉ヶ平民家は、築200年程の椿和三郎氏の茅葺き木造家屋で石置き屋根の馬屋も備え、室内には囲炉裏や神棚も残ります。多くの住宅は取り壊され集落に家屋は残らなかったため、吉ヶ平の暮らしぶりを伺い知る貴重な民俗資料の一つとなりました。

今夏は、北方文化博物館の吉ヶ平民家から、八十里越えを通り会津を目指して、只見町塩沢で亡くなった河井継之助の無念の境地に想いを寄せる夏となりました。

参考 

新潟日報2022719日、712日 

越佐ふるさと峠みち2526 「八十里越」上、下(関田雅弘)


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吉ヶ平民家
(北方文化博物館)
2022.7.28撮影


# by hoppo_bunka | 2022-09-10 12:49 | 本館の展示案内 | Comments(0)

特別な場所

特別な場所_e0135219_12310079.jpg
 お茶室が公開されていたので、桐庵を見に走りました。
普段は外側をさっと通り過ぎる桐庵ですが、開け放たれていると佇まいがまるで違ってきます。特別な空間が広がっていて、そこにいるだけで十分だと感じます。お軸やお花、お茶が無くても。
 外界から遮断された、ほとんど無の中に身を置く場所なのですから、物はなくても構わないのかもしれません。心を静かに浸らせる空間さえあれば。
 ここは大切に自分をもてなしてくれる場所。心を込めて準備をし、慮ってくれる場所。そう想像するだけで、幸せになれます。大切に扱われることは、誰もが願うことで、たとえそれがわずかな時間であっても、ずっと心を温め続けてくれるものだと思います。

 8月28日に、水害で被災した関川村のボランティアに行って来ました。それより前に行ったきた夫に、「泥出しだけは腰がやられるから、俺でもきつかった、違うことをしてこいよ。」と言われ、泥掃除という作業を他の方と一緒にしてきました。
 中越沖地震の時も、阿賀野川や五十嵐川の水害の時も、東日本大震災の時も、泥まみれになった場所の片付けや掃除をしましたが、どこも同じです。拭いても拭いても、洗っても洗っても、しばらくすると泥がにじみ出てきて、きれいになったと思っても、また拭かなくてはならない、の繰り返しです。そして家の側には使えなくなった家財道具と泥を入れた袋の山。
 ゴミに化した物は、大切にしていた思い出の物であったり、愛着のあったものであったり、お家の方の無念さ、悲しみを思うと心が痛みました。
 自分の力ではどうにもならないものに、人生を翻弄されることもあるのだな、と災害が起きた時にいつも思います。
そんな時、全ての苦しみを覆うことはできないとしても、自分は大切に扱われている、と感じることができることは、絶対必要なことだと思います。
 私は非力で、他の屈強な若い方がたと比べると、できることなんてほとんどないに近いけれど、それでも何かやれることがあって、自分のものを大切にされていると感じてくださることができるように、作業をしたいと思いました。明日は県のバスで村上市に行ってきます。
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 この空間、この場所が自分を大切に迎えてくれる。そういう場所が人には、生物にはきっと絶対に必要で、それは年に数回しか訪れることのない所でも構わない。高い山の頂でも海が開けた道の上でも。そしてこの清水園の中でも。

 お茶室からいただいた幸せな気持ちを、少しでも他の方々にお届けできるように、自分にできる精一杯のことをしてきたいと思います。

清水園/ひろ
 
 



# by hoppo_bunka | 2022-09-03 17:12 | 清水園 | Comments(0)

美しきものは

美しきものは_e0135219_12544525.jpg
 先日お誘いをいただいて、自然科学館のプラネタリウムに久しぶりに行ってきました。子どもたちが小学生の頃以来ですから、本当に久しぶりです。大人でも十分楽しめる所だったのだと、改めて感じられる、とっても楽しく素敵な時間を過ごしてきました。
 「ハナビリウム」という9月16日まで投映される番組は、400年以上にわたる花火の歴史を伝えるものです。見どころは、花火師以外は決して入ることのできない、花火の真下からの360度実写映像で、頭上から花火が降りかかって来る、そんな体験を味わえます。
 私は、「ハナビリウム」については全く知らなかったのですが、人気があるようで、来場時間前に多くの人が並んでいました。

 場内は自由席なので、並んでいる人数を見て、良い所が取れなかったらどうしよう、と焦ったのですが、席に座って天井を眺めると、それは杞憂でした。
コンサート会場などとは違って、どの席からも星空を満喫できるようになっていました。というより、星空というもの自体が、そういうものでした。

 満天に輝く星を見ながら、みんな平等っていいなぁ、美しいものって、みんなに平等にあるんだなぁ、としみじみ思いました。
夕暮れに稜線や日本海に沈む夕日も、朝焼けに染まり行く空も、みんなに平等に与えられる美しさって、本当に良いなぁと思いました。

 北方文化博物館を創設した七代伊藤文吉がアメリカ留学時代に学んだことは、「美しきものは自らの私財で求め、心の糧として鑑賞し、いずれ時期を見て社会に還元し、一般に公開すべきものである。」ということでした。そして、「価値ある美術品は、個人だけの愛蔵品であってはならない。」これが理想でした。

 もともと豊かになるって、そういうことなのかもしれません。自分という枠組みを取り払うことによって、他の大いなるものがなだれこんでくる。自分を無にすることによって、他と我の境目はなくなり、我はどんどん拡がり続け、無尽蔵となっていく。

 プラネタリウムでは、もう一つ、土星の輪が、一億年後に消失するというNASAの研究成果についても初めて知りました。
天体望遠鏡で初めて土星の輪を見た時の喜びは、今でも失せることはありません。小さな、小さな、でも、はっきり、それが土星だとわかる、あの輪。それが見られなくなる時代が来るなんて。今見えるものの価値を思い知らされた瞬間でした。それは永遠ではない。

 軒先に咲いている美しい朝顔が、その輝きを一日で命を終えるように、星にも命があり、姿を変えていく。この宇宙にぽっかり浮いている地球だって同じ。みんなが、宇宙空間に出たら生きていけない運命共同体なのに、それなのに、爆弾を落としたり、環境を汚染したり、中から破壊を続けている。土星の輪のように、やがては失われてしまうものがあるとしても、そうなる前に人類が消失を引き起こすようなことをしでかす気がして、恐ろしくなります。もはや手遅れとなっているのではないかと。この美しい星を後世に伝えることができなくなるのではないかと。

 美しい星空を見て、感動していたのに、急に不安に襲われるなんて、それはやはり、世の中が安定していないからだと、嘆かわしく思った時、五味太郎さんのこんな言葉が飛び込んできました。
 「生きているうちは、不安定なのが面白い。明日が完璧だって分かっているなら、俺は起きなくなる。」

 ああ、困難な状況にあっても、知恵を絞って絞って寄せ合って、抗って生きてきた人がいたから、人類は少しずつ進歩をしてきたのだ。
そう思えて、少し元気を与えられた気がしました。

 今生きているこの毎日も、文化遺産としての清水園の美しさも、永遠ではない。守り抜く努力を続けなければ。人と知恵を出し合って、地球とつながって、生きていきたいです。

清水園/ひろ
 
 

# by hoppo_bunka | 2022-08-25 17:10 | 清水園 | Comments(0)

つないでいく 次の世代へ

 六代目伊藤文吉がデザインした「文つなぎ紋」
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 一続きの「文」の文字のデザインには、自分の名前に対する誇りと、祖先を敬い子孫の繁栄を願う気持ちが込められています。
それと同時に、伝統の重みの中に、新たに価値あるものを生み出していこうとする気概も感じられます。
 日本の伝統文化を後世に繋ぐ目的で運営している北方文化博物館の理念が、ここにも表れています。
その思いは、今では藍染マスクに受け継がれました。北方文化博物館と清水園で限定販売されています。
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 お盆、そして終戦の日を迎えました。自分につながる多くの方々に思いを馳せる日です。懸命に生きて命を繋いでくださったことへの感謝と、砲弾に怯えることなく、飢餓に苦しむことなく暮らしていける幸せをかみしめたいと思います。
 終戦の日に関してということで、神田館長の戦争体験のお話がラジオ放送されました。B29が横越村の畑に墜落したこと、村の人たちが墜落死した敵兵を弔ったこと、敵兵にノコギリを持って向かって行った女の人がいたこと、ずっと後になってから、捕虜になった方のお嬢さんが横越村を訪れてきたこと、当時の暮らしの様子など、決してこんなことは経験したくはない、と思いながらも、館長が冊子にまとめられたように、後世にどうしても伝えて行かなければならないことなのだと感じました。

 大切な人と一緒に生きていられる幸せな時間は、永遠ではない。だからどんなに世の中が悲惨な状況であっても、生きている間に、少しでも自分の後に生きていくものたちが、幸せに生きていくことができるように願い、力を尽くす。今より少しでも、世の中が良くなるように。苦しい時代であっても、ずっと私たちはそのような先に生きてきた方の恩を送られてきました。そのありがたさがわかるから、次の世代に、その恩を同じように受け渡そうと努めるのだと思います。
 
 そうした心のつながりは、肉親や知人だけでなく、もっと広いつながりにまでも思いを馳せることができるようになると、世の中はもっともっと良くなっていくと思います。

 先日、病気や障害があっても参加できる旅の企画をする旅行社がテレビで放映されていました。下半身麻痺の方が海水浴を楽しむというもので、車椅子が入れない浜辺の移動手段や海に入る手段を、多くの人がアイディアを出し、援助しあって、その方の夢の実現に努めていました。自分ひとりでは限界とあきらめてしまうことも、多くの人がつながって可能性を探っていくと、限界がなくなり夢が叶うというものでした。海に入れたその方はもちろんのこと、関わった人たちみんなが深い喜びに満たされた旅行でした。夢が叶ったその方は、これからもっと、あれもしたい、これもしたいと、どんどんやりたい事や気力が湧いてきたと、本当に嬉しそうでした。見ていた私まで、幸せになりました。
 つながることによって生まれた幸せは、関わった一人一人に伝わって、そこからさらに網目の様に広がっていきます。みんなが人の幸せを自分のことのように嬉しく感じて生きていったら、世の中はどんどん良くなっていくと思うのです。

 伊藤家には、「悪田を買い集め、美田にして小作に返すべし」という家訓がありました。命の尊さを考える今日、どうしても伝えたいことを、言葉で、行動で、私も示していきたいと思います。 

清水園/ひろ

 
 







































# by hoppo_bunka | 2022-08-15 16:21 | 清水園 | Comments(0)

無知は罪

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 先日、新潟市の砂丘館で行われた「庭園実技講習 松と高木の剪定」に参加して、樹木の剪定を学んできました。10時から16時まで1日かけて、先生から手入れの時期や整枝、剪定の仕方を教えていただき、初めて松やツツジを剪定しました。
 ツツジの剪定では、リズムよく剪定バサミを動かされる先生と違って、不慣れな私は思うようにハサミが動いてくれません。松は、初心者でしたので、高い梯子には上りませんでしたが、低い梯子の上で剪定することができました。
 手入れした後と前では大違い。「ああ、これが正しい姿だったのだ。」と見て美しいと感じます。
足元を綺麗に始末しておくこと。隙間を開けて風通しをよくしてあげること。重なりを外して、日当たりをよくしてあげることなど、それまで全く考えていなかったなぁと、家の庭木に申し訳ない気になりました。
 いただいたテキストに、「整枝剪定(芽切り)など、いずれも樹木にとっては大手術であり、極めて酷なことです。また、樹木の状態や季節等、いろいろと深刻な状態にも晒される訳です。」と書かれていました。砂丘館で剪定をしていらした先生方は、丁寧に、いたわるように、作業をされていたのは、こういう意識で木々と向き合っていらしたからなのだと思い至りました。
 庭や花壇の草木を切る時、「酷だ」と思った事は一度もありませんでした。お庭が大好きなどと言いながら、少しもわかっていなかった、草木に対して、冒瀆するような振る舞いをしていたのだと反省しました。
  
 今、我が家の畑には、トマト、ナス、キュウリ、ピーマンが実り、花壇は第2弾のバラが咲いています。ちょっと行って切ってこようと思って出る時、「酷なこと」という言葉を頭に置いて、頂きます、という気持ちで思いを向けて作業していこうと思います。

 高木の上で作業をする卓越した技術は下から見上げて感嘆するものですが、自分と同じ命ある一個のものに触れて作業をしている、という思いが伝わってくる作業も素晴らしいものでした。
 愛情は伝わる。草木にも、触れる人にも。
 命に触れる者が決して忘れてはならないことを教えていただきました。
そして、もう一つ。力を持っている者が、決して忘れてはならない気持ちも。無知は罪であることも。

清水園/ひろ

# by hoppo_bunka | 2022-07-17 17:10 | 清水園 | Comments(0)