人気ブログランキング | 話題のタグを見る

その先を想う

その先を想う_e0135219_10193419.jpg
しばた川灯籠流しが行われ、お盆が過ぎますと、暑さはほぼそれまでと変わらないのに、なぜか急に夏の終わりを感じ始めます。
浴衣を着ていたのが、なんとなくそぐわなかったり、輝いて見えた褐色の肌が、なぜか色褪せて見えたり。
気温は30度を超える日が、まだまだ続くのですが、季節の移ろいはそうやって密かに進んでいるのですね。夏休みを満喫していた子どもたちもきっと、焦り始める頃でしょう。

 子どもの頃、夏休みの宿題に「お手伝い」というものもありました。私がよく行ったのが「玄関そうじ」。
我が家では祖母が毎朝玄関掃除をしていました。ですから、自分で玄関を掃く、というのは、このわずかな期間だけでした。
 嫁ぎ先では、義母が毎朝玄関掃除をしていました。道路脇の庭から木の葉が落ちるのを、お隣にご迷惑がかかると気にして、つい最近まで、毎朝していました。外回りだけは、今でも目に付くと、掃いています。私は働いていることに甘えて、ずっと義母に任せっきりでしたので、気付いた時に行う程度でしたが、勤務先ではいつも掃除をしているのに、自分の家はたまにしかしないなんて、と反省し、簡単ながらもするようになりました。

 そんな自分の掃除や作業の仕方を見直したい、と思わされた本に出合いました。三つの観点から考えさせられた本です。

 千玄室さんの書かれた『日本人の心、伝えます』という本です。

 最初は作業の徹底ぶりについてでした。
 茶室にお客様をお招きする時、著者のお母さまは水屋の者たちや著者に手伝わせて、露地の掃除をしました。それは、苔の上に落ちた塵をピンセットで拾い、木の葉のほこりを一枚一枚拭き取らせる徹底したものだったそうです。後片付けも手抜きは許されない。
 戸外の掃除をそのようにしたことは私は一度もなく、後片付けも徹底してやった、と言えるものではありませんでした。
 お客様をお迎えする心構えというのは、これほどの誠意を尽くすものなのか、と思いました。

 次は千利休の掃除についてのお話でした。
 武野紹鷗が利休に露地の掃除を命じました。ところが、露地は既に掃き清められてあたりに木の葉一枚落ちていませんでした。
しばらく露地を見ていた利休は、1本の木に歩み寄り、幹を揺すり始めました。数枚の木の葉がはらはらと散り、苔や下草の上に落ち、そこで利休は紹鷗のもとに「掃除が終わりました。」と報告しました。紹鷗は、利休が非凡な人であると見抜き、利休は弟子となり共に茶の道を進み始めたということです。

 利休の求めた不完全な美について、それまで私はなかなか理解できなかったのですが、自然は常に移ろい続ける、完全でないからこそ、私たちの心を捉える、ということがようやくわかったような気がします。
 新川和江さんの『わたしを束ねないで』という詩の中の一節に、「標本箱の昆虫のように、高原から来た絵葉書のように止めないでください」というものがあります。
 標本箱の昆虫は、確かに美しいが、命の輝きは失って止まっている。絵葉書の風景も完璧に美しいが、時間も空間も止まって生きてはいない。
 命は移ろうからこそ命であり、移ろうものだからこそ人は心を引き寄せられるのですね。

 最後はノートルダム清心学園理事長の渡辺和子シスターの仕事のお話です。
 ボストンの修錬院で配膳の仕事を割り当てられたシスターは、百数十人分のお皿やコップを食堂のテーブルに並べるという単純な作業を黙々とやっていました。修錬長がやってきてシスターに声をかけます。「あなたは何を考えながらその仕事をしているの?」
「別に何も」とシスターが答えたところ、修錬長は「今並べている食器を誰が使うのかはわからないけれど、『使う人がお幸せになりますように』と、祈りながら並べてゆきなさい」とおっしゃったそうです。

 それまで、本館の食堂で準備を手伝ったり、前職で食器や寝具をセッティングしたりした時のことを思い出しました。そして、毎朝行っている玄関掃除を含めて、自分が行う全ての作業に、相手の幸せを祈る心は少しも含まれていなかったことに気付きました。
 ただ、すればよい、きちんとしてあれば、それでよい。そう思って作業をしていました。
その先を想う_e0135219_15435168.jpg
その先を想う_e0135219_10200214.jpg


 読んだ翌日から、職場では入って来られる方々のお幸せを祈りながら、家では家族が一日を元気で無事に過ごして帰って来ることを祈りながら掃除を行っています。している内容に変わりはないのですが、心持が変わると、ただの作業に思えていたものが、尊い仕事のように思えてくる、そして気持ちが優しく丁寧な作業になっていくような不思議な感じを覚えます。
  
 料理をする時は、確かに家族や届ける人のことを思い浮かべて作っていました。考えてみれば、世の中の仕事に、相手に結びつかないものはありません。その先の誰かが幸せになることを願って、私たちの世界は発展してきました。大それたことは決してできないけれど、毎日していることを相手を想いながらしていくと変わることもあるのだ、と思いました。

 今はほとんど何もできなくなった義母ですが、元気な時は、家中がピカピカでした。仕事は丁寧できちんと片付けもしていました。同居したころ、専業主婦だからできるんだ、私には無理だ、時間が無い、と思いました。自分のことにしか目が向いていなかったと反省するばかりです。私たちのことを思わずに、ただの家事という思いだけで作業をしていたら、家があんなに心地よかったはずがありません。
 義母が毎日届けていてくれた愛情に気がついていなかった。今度は私が同じように心を込めて、家と家族の幸せを祈り守っていかなければ。黙ってはいるけれど、きっと家族は義母がしてくれていた家事の偉大さに気付いて、私に我慢したりフォローしたりして、動いてくれていたんだと、今は思っています。

 美しいと感じる場所に込められている人の心を汲み取り、自分も美しい作業ができる、そんな人になりたい。
本を読んで以来、ずっとそう願いながらも、実際は、自由研究がまだ決まらずに、焦るばかりの子どもが慌ててするような取り組みぶりです。

清水園/ひろ


 
 

# by hoppo_bunka | 2024-08-18 17:06 | 清水園 | Comments(0)

呼び起こす部屋

呼び起こす部屋_e0135219_14355757.jpg
 転居やリフォームの予定はないけれど、モデルハウスを見学するのは、夢があります。こんな部屋に住みたいな、と憧れるところがたくさんあって、今でも新築のお宅やリノベーションをしたお宅を取り上げるテレビ番組や雑誌を見るのは楽しい。
 仕事をしながらいつも、素晴らしい清水園の書院や本館の大広間の趣を味わうことができ、お客様にもイチ推しの場所だとお薦めしていますが、こんなお部屋に住めたらいいな、と思うのは、新潟分館の大座敷「松風」です。

 新潟分館は、新たに公開されたお部屋がありましたが行く機会を逸していました。
分館は、実は私が最初に働きたいと訪ねていった場所です。分館の近くの西大畑で亡くなった父は育ち、今は無き新潟の家での思い出をたくさん話してくれました。私のルーツがあると思えた場所で、いつかその近くで働いてみたいと考えていました。

 私が訪れた日は、夏の設えのお座敷の中を風が通り抜けて、御簾がかすかに揺れていました。明るい夏のお庭を眺めながら、平安時代の寝殿造の部屋に入り込んだような気持ちになりました。大好きな『源氏物語』や、それに憧れて巻の続きを読むことを切望した、菅原孝標女を思い出しました。私も彼女のように、光源氏に恋焦がれ、夢中になり読み浸りました。
 
 時空を超えた世界に浸ることができるだけでなく、このお部屋は四季折々の懐かしい風景を呼び起こします。
 春に姉妹で縁側に座り、シャボン玉を吹いたこと。夏の夜の手花火と、響き渡る虫の声。秋の夕暮れの赤とんぼが飛び交う空。そしてお月見。冬の庭に小さく並んだ雪だるまなど。縁側のあった古い津川の家を思い出しました。
 
 新たに公開されたお部屋からは、若かった頃の父と母を思い出しました。
呼び起こす部屋_e0135219_15301344.jpg
呼び起こす部屋_e0135219_15385525.jpg
 



 山内保次と會津八一の馬の絵の飾ってあるお部屋では、亡き父の同級生との関わりを思い出しました。お一人は市内の大きな海産物商店の方で、もうお一人は銭湯のお家でした。私と姉は子どもの頃に親戚の子でもあるかのように、そのお宅に泊まらせてもらったことがあります。その方たちといる時は、一家を背負う父親の顔ではなく、やんちゃな同級生同士に戻ったような楽しそうな顔を見せたことなどを思い出しました。
 
 欄間絵と床の間の天袋絵は小山雪亭。清水園の書院の舞台の間の「雲裡鯨聲」の松とは全く趣が異なり、緩やかな時を経て家族を見守り健康と長寿を願う意味が込められています。
 
 その他に、中田瑞穂画 秋艸道人画賛の絵も見ることができました。父が俳句を習ったという方で、家に先生の画集がありました。懐かしい方にお会いした思いがしました。

呼び起こす部屋_e0135219_15305499.jpg
 「祖母や母の髪結い場」と書かれたこのお部屋では、子どもの頃、母の所に美容師さんがパーマをかけに来てくださった時のことを思い出しました。鏡台は憧れの物があるところ。勝手に触ったり鏡を開いたりすることも、なかったです。いつか大きくなったら、素敵な女の人になったら、髪を綺麗にしてもらって、お化粧もして、そんな将来を夢見ていた子ども時代を思い出します。
 日中の家の中は、今と違ってほとんど明かりをつけない時代で薄暗かったのですが、若かった母と美容師さんがいる空間は、華やかな明かりの灯る場所でした。ほんとうに、時代はどんどん変わっていって、なくなっていく物も、たくさんある。
 髪をとかす時に、肩に掛ける化粧ケープなんて知らない人がきっとたくさんいます。でも、人から髪を整えてもらう幸せは、今でも失われることなく残っていて、多くの人は、何かの折に、それを思い出されると思います。私にとっての、このお部屋のように。
 あの頃の若々しく美しかった母を本当に久しぶりに思い出しました。

 ここは自分のルーツを偲ぶ場所だと勝手に決めつけておりますが、きっと皆さまにとっても、何かを呼び起こす、あるいは味わうことができるところだと思います。
 季節の移ろい、時間の流れを愛おしみたくなる、そんな場所です。どうぞお出でくださいませ。

清水園/ひろ 


 





# by hoppo_bunka | 2024-08-10 17:06 | 清水園 | Comments(0)

レクイエム

レクイエム_e0135219_16525338.jpg
 盛夏です。蝉の声が一層強く響いています。家に帰れば、連日オリンピックの熱き戦いが放映されています。
 世の中が強烈な光と暑さと力に覆われているようなこの時季に、ひっそりと小さな悲しみが訪れました。

 小学3年生の頃から、ずっとお世話になっていた歯医者さんが、引退されました。先生のお年は90歳です。引退は、ご年齢から考えれば当然のことかもしれませんが、絶対的な信頼を寄せていた方だったので、とうとうこの時がきてしまった、と悲しかったです。

 職場でいつも声をかけてくださっていた方が、退職されたことを知りました。私は本館と清水園を兼務しているうえに常勤ではないので、以前からそういうお話がでていたのかもしれませんが、わかりませんでした。お世話になったお礼をお伝えしたくても、できないままで、とっても寂しく感じています。

 ちょっとした贈り物を選ぶのによく利用していたお店が、7月31日に閉店していたことを知りました。明日、そこに行って買い物をしようと思った前日に、そのことをネットで知りました。もっと早くわかっていたら、と思いましたが、何度も来ていたお知らせを、商品の紹介と思い込んでスルーしていた自分が悪いです。

 そして一番悲しかったこと。高校の同窓会誌のおくやみ欄に、大切な人の名前が載っているのを見つけました。高1、高2の全ての思い出を共に過ごした人は、亡くなっていました。突然死だったそうです。
 今度実家に帰る時が来たら、途中にある、彼の家に寄ってみようかな。今、私はこんな仕事をしているよ。そんな風に何気なく、自分の近況を伝えて、彼の話も聞けたらいいな、なんて思いながら、一度もできませんでした。いつか。いつか行ってみよう。そう思いながら、ずっと後回しにしていました。そして、いつかは永遠にもう来ない。

7月21日に、「ここにあの夏を埋めていこう」と思った場所がありました。私の人生の表舞台には現れないけれど、決して消えることのない、永遠の夏です。お庭を巡っているうちに、ふと、そう感じたのですが、ひっそりとした静けさには、小さな別れが紛れ込んでいたのかもしれません。
レクイエム_e0135219_16533928.jpg

 ばかだなぁ、私は。どうして明日が来るなんて、安易に思い込んでいたんだろう。確実に私がもっているのは、今のこの瞬間とほんの少しの間の時間なのに。いつか、いつか、いつかって、なんの保証も私はされていないのに。

 外は蝉の声が一段と激しくなってきました。4時を過ぎたのに、太陽はまだ、ぎらぎらと照り付けています。
 今を全身全霊で生き抜いてみろと、呼びかけられているかのようです。
 オリンピックで試合に臨む選手のように、滾る心でお庭に向かうと、いつものように、静かでゆったりとしたお庭が迎えてくれました。

 自分の命すらままならぬ人生。相手だってそう。だから人との出会いは一期一会。出会えた方との二度とないかもしれない時間を、大切にしていきたいと思います。

清水園/ひろ 

# by hoppo_bunka | 2024-08-03 17:11 | 清水園 | Comments(0)

ジャンプ‼ジャンプ‼

ジャンプ‼ジャンプ‼_e0135219_11112886.jpg
 「お座トロ展望列車」という列車を御存知ですか。会津鉄道の2両編成の列車です。
1両は、高い所にあるリクライニングシートで景色が楽しめる展望席と掘りごたつで足がのばせるお座敷席、もう一両は窓のない、ビュンビュン風を浴びながら景色を堪能できるトロッコ席です。先日義母と参加したバスツアーのコースに体験として組み込まれていて、その楽しさを味わってきました。

 サービス満載の列車でした。西若松駅を出発する時は、会津鉄道の方々が、横断幕とキラキラ光る団扇でお見送りをしてくださいました。
車内では飲み物やお土産品も売っていて、アイスクリームを食べました。鉄橋の上などビュースポットに差し掛かると、速度を緩めたり停車をしたりして、ゆっくり景色を味わったり写真を撮ったりすることができます。そして、トンネルに入ると、なんと左右のトンネルの壁面に映像が投映されます。
 トンネルシアターといって、全国初の試みだということです。
芦ノ牧温泉駅の名誉駅長である猫のばすのアニメーションなどが流れます。最も長いトンネル内では、5分シアターを楽しめます。他の車両の方たちも、アニメーションを見に、トンネルに入ると移動して来られました。
 車内放送で名所の説明もあり、私たちが降りる湯野上温泉駅までの約40分間は、心地よく、久しぶりに新幹線ではない列車の旅を味わいました。

 トンネルシアターは、あの暗い、ゴーっとただ流れていくような時間を、楽しいものに変える画期的な発想だと思います。会津鉄道はすごい!と感動しましたが、実は更にそれを上回って感動したことがありました。

 車窓から流れる景色を楽しんでいた時のことです。田のあぜ道にいた若い男の方が、私たちが乗っている列車に向かって、とびきりの笑顔で、大きく跳び上がって、手を振って見送ってくださいました。それが嬉しくて、私たちもそれに応えて大きく手を振りました。

 この鉄道は、地域の方に愛されているんだなぁと実感しました。そして列車にまつわる、二つの映像を思い出しました。
 一つは東日本大震災で被災した三陸鉄道が復旧した時に、それを見送る地域の方々の涙と復旧までの取組を取り上げたNHKの「新プロジェクトX」。
 もう一つは九州新幹線が開通する時の沿線の人たちの笑顔満載で列車を見送るCM。
 どちらも、その鉄道が多くの住民に愛されていることが伝わってくるものでした。それを、このお座トロ展望列車にも感じました。

 勤務している清水園も北方文化博物館も、このように、地域の方々から必要とされ、愛され、笑顔を向けられる存在でありたい、と思いました。清水園でボランティアガイドをしてくださる方々は、お城の案内を終えられると、「次はどこへ行かれますか。清水園は良いですよ。ぜひ行かれた方が良いですよ。」と紹介してくださいます。ありがたいことだと思います。同じようなお気持ちで皆さまから愛され応援される場所であるように、お客様や地域の方々にとって、大切に思われ、笑顔を向けていただける存在でありたいと願います。

 多くの方々の思いを受け止め、感じ取り、存在意義や価値を高めていく企業が、経営難を乗り越えて生き残っていくのだと思いました。
 そのために、いったい自分は何ができるだろう、ささいな自分にできることなんてあるだろうか、と思った時、見送ってくださった方のとびきりの笑顔と大きく跳びあがって振った手が浮かびました。
 自分にもできることがありました。利用してくださってありがとう、来て下さって本当に嬉しい、と全身でお伝えすることは、私の身一つでもできることです。そして、関わってくださる方や、共に生きる地域の方から愛される存在になることを目指していきたいです。

 通りすがりの見知らぬ方から届けられた嬉しい贈り物を、お客様が受付にいらっしゃった時に、どうか同じように受け取られますように。心地よいお庭の一部となれますように。ジャンプはしていないけれど、口角は、昨日よりずっとずっと上へ。ぱっと拡がる書院からの眺めを目指してお迎え、お見送りをしています。

清水園/ひろ



 



# by hoppo_bunka | 2024-07-13 17:13 | 清水園 | Comments(0)

思いを巡らせてご覧ください

思いを巡らせてご覧ください_e0135219_15274477.jpg
 清水園は国の名勝、足軽長屋は重要文化財です。どちらも江戸時代の遺構として価値あるものですが、私自身は足軽長屋を見ても、清水園ほどには心打たれることはありませんでした。 
 茅葺屋根寄棟造の八軒長屋で現存するのは、全国でも新発田だけであるという、大変貴重な遺構でありながら、心に迫ってくるものが無かったのが自分では残念で、お客様にお薦めしたいと思いながら、自分自身が長屋の持つ価値を探っている状態でした。
 お客様のコメントも、清水園はお褒め頂く言葉が多く見られるのですが、長屋はあまりありません。ご覧になる方も、長屋はさっと見られ、終わってしまいます。私もそうでした。

 見方が大きく変わったのは、長屋の修理工事報告書を読んでからです。この報告書を読んで、修理前の長屋の様子を思い浮かべることができました。
 昭和44年に重要文化財の指定を受ける直前まで、この長屋には住民が住み続けていました。その時の長屋は、これ以上放置すれば倒壊も免れないほどの破損が酷い状態だったそうです。屋根は雨漏りで傾き、壁は崩れ、腐朽は極限に達していましたが、修理をしつつ人々は1842年からずっとここに住み続けていたわけです。

 今、ご覧いただいている長屋は、昭和47年に修復を完成した綺麗な長屋ですので、当初の暮らしを想像するのは、難しいかもしれません。
思いを巡らせてご覧ください_e0135219_16065826.jpg

 江戸時代の人々の生活をさまざまな本で調べているうちに、江戸末期の国学者で歌人でもあった橘曙覧の暮らしぶりを知りました。
彼のあばら家は、壁は落ちかかり、障子は破れ、畳は切れ、虱が這っていたといいます。
 そんな彼が暮らしを詠んだ独楽吟には、次のような歌があります。
 たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふとき
 たのしみは三人の児どもすくすくと大きくなれる姿みるとき
 たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見るとき

 最後の歌は、上皇陛下御夫妻が1994年にアメリカ訪問をされた際に、クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で引用されスピーチを行われました。アメリカの方が、この歌の感性を日本人らしさと捉えて用いてくださったことがとても嬉しいです。
 物や環境が整わなくても、人は幸せを日々の暮らしから感じ取ることができるのだと、彼の歌から教えられました。

 そんな思いで長屋を見ると、今までは見えて来なかった、そこに暮らしていた方々の様々な姿が見えてきました。橘曙覧のように、きっと長屋に住んでいた方々も、川面に浮かぶ蛍の美しさを夕涼みしながら見つめ、釣った魚のおいしさや成長していく子どもの姿に、ささやかでも心を支える喜びを見つけていたに違いないと思いました。

 今の自分はどうだろう。心の底から、おいしい、幸せ、とご飯を味わって食べているだろうか。家族との時間を幸せと感じているだろうか。当たり前のこととして、幸せを受け流していないだろうか、と考えました。
 長屋の暮らしを想像することは、自分の生き方を振り返ることにつながります。風の吹き込む寒い長屋では、お天道様が輝けば、それだけで十分幸せと感じ取ることができたでしょう。太陽ではなく、ありがたいお天道様として。

 今の文明生活は、過去の幾多の方々の努力の積み重ねによって生まれ、私達はその恩恵の上に生きています。ならば次世代に対しても、より良い未来を残す責務が私たちにはあります。

 江戸時代は循環型社会で、無駄な物は一切ない、そういう暮らしでした。ごみは出ず、資源は有限であると考え大切にしました。また、今よりずっと助け合いの強いコミュニティがありました。
歴史には今の生活への、道標があり、それを伝える遺構の保存は貴重で、次世代への使命だと思います。

 遺構を前にした時、心をいにしえに馳せてご覧になってみてください。新たな見方が生まれるかもしれません。
私は、「たのしみは~」の後に、どんな時を自分ならあげるだろうか、と考えました。

 足軽長屋は、幸せについて思いを巡らせる場所であると、今感じています。

清水園/ひろ



 


# by hoppo_bunka | 2024-06-16 17:22 | 清水園 | Comments(0)